キヤノンA−1

私が初めて買ったカメラがこのA−1ですので、つい思い入れが入ってしまいます。中学3年生の時でした。その年の春、札幌五番館デパートで開催されたカメラショーでA−1にさわり、すっかりやられてしまいました。精悍なブラックボディ、ごつい印象を与える大きなグリップ、デジタル表示のファインダー、5モードAE、中学生のハートはバイブレートされてしまったのでした。その夏、幼少の頃から使わずにためていたお年玉貯金を崩してA−1を手に入れたのでした。NewFD50mmf1.8付、ストロボは199Aがよかったのですがお金が足りなかったので177Aで我慢しました。それまで使っていたのがオリンパス35DCでしたから、A−1のインパクトはそれはそれは大きかったです。払った金額は11万円。定価ベースでも12万円くらいだったでしょうから1割引もしてもらっていません。当時札幌には量販店は進出しておらず、いわゆる町のカメラ屋で購入したのでした。ヨドバシで買えば3割引は堅かったでしょうから、同じ値段でレンズ専業メーカーのズームレンズが買えたことでしょう。無知とは悲しいものです。

さてさて、肝心のカメラですが、Aシリーズの最高峰を意味するA−1は1970年代後半の技術力を最大限に投入して作った電子カメラです。A−1は1978年に発売されてから生産が終了する1985年までの間、あらゆる面で賛否両論の論争を巻き起こしたカメラでした。A−1は世界で初めて一眼レフにプログラムAEを搭載、5モードAEを売りにしたマルチモードAEの草分け的存在でした。まず高級一眼レフカメラにプログラムAEを搭載したことについて激しい議論が巻きおこりました。それまでプログラムAEは主にコンパクトカメラに採用されていたAE方式であり、初心者向けと言った印象が強かったからです。A−1が発売された当時はシャッター優先AEや絞り優先AEでさえ、初心者向けであるという考えが根強かったことも原因の一つでした。この時代のプロ用、もしくはハイアマチュア用と言われるカメラの多くはマニュアル専用機で、最高級機がAEを積極的に採用するのは1980年代になってからです。そう言った環境の中でボディ価格83,000円の高級一眼レフがプログラムAEを採用したため、反対意見がカメラ雑誌をにぎわせたわけです。A−1はプログラムを含む5モードのAEを搭載したマルチモードAE一眼レフです。シャッター速度優先と絞り優先の両方式を搭載したのは1977年発売のミノルタXDが最初でしたがA−1の発売がマルチモードの賛否についての論争の起爆剤になったのは間違いありません。デュアルモードのミノルタXDがそれほど論争を巻き起こさなかったのになぜキャノンA−1は賛否が分かれたのでしょうか。一つの理由にキャノンA−1が高度に電子化されたカメラであり、それまでのカメラと比べて大きく異なる操作を要求したからでしょう。

A−1はAE−1で初めて採用されたマイクロコンピューターへの依存をさらに深めていました。AE−1の機能の大部分はマイクロコンピューターを使用せずにメカで解決できました。実際にキャノンEFはAE−1以上の機能をマイクロコンピューターなしで実現しています。(コストパフォーマンスは別ですが)しかし、A−1の機能はマイクロコンピューターなしでは実現不可能でしょう。ファインダー内の表示にデジタルを使用したのもA−1が最初でした。メーターに慣れた目には7セグメントLEDのファインダー表示はすぐに馴染めるものではなかったことは想像に難くありません。しかしコンピューターのデジタル信号を表示するにはメーターよりもデジタルLEDの方が適していました。絞り値を入力する方法としては、レンズの絞りリングよりも、ATダイヤルの方が機構的に容易でした。これらの全ての新しい機構、操作がA−1のもたらした論争の原因となったのです。

A−1の発売から20年以上経過しました。その間一眼レフはさらに電子化し、AF化し大きな進歩を遂げました。現代の一眼レフカメラの機能でA−1を祖とするものは数多く存在します。マルチモードAEは今ではごく当たり前の機能になり、プログラムAEはマルチプログラム化され多くのAE一眼レフに搭載されています。ファインダー内の表示は節電の関係でLEDではなく液晶になりましたが、デジタル表示が主流になっています(ごく最近になって液晶のバーグラフが増えてきています)。ATダイヤルによる操作はキャノンT−90の電子ダイヤルを経て、多くのAF一眼レフに採用されています。一部にはプッシュボタンを採用しているものもありますが、主流は電子ダイヤルです。このように、多くの論争を巻き起こしたA−1の新技術はさらに進歩し、もしくはほとんどそのまま現代の一眼レフに受け継がれているのです。A−1はその後AE一眼レフの方向を決定した歴史上大きな意味を持つカメラでなのです。

       操作自体は今のカメラに比べればきわめて簡単です。当時は操作が煩雑であると言うことで相当叩かれたのですが、今となってはなんと言うことはありません。モードセレクターダイヤルでモードを決めてあとはATダイアルで絞りかシャッタースピードを決めればそれでおしまいです。ATダイアルはモードセレクターであわせたモードの数字しか見えませんから迷うことはありません。しかし当時のカメラ雑誌には「モードセレクターでモードを合わせる操作は、今までにはない手順で操作の煩雑さを招く」と批判されていました。「それなら今のカメラはどうなる?」といいたいところですね。どうも当時の風潮として、重箱の隅をつつくような議論が多かったように思います。今よりもっと保守的だったのでしょうか?


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