キヤノンAE−1

連写一眼のキャッチフレーズで知られるAシリーズのトップバッターです。1976年に発売が開始されました。初めてカメラの露出制御にマイクロコンピュータを採用したカメラとして有名です。それまでのAE一眼レフは露出の制御を物理的な量や電気的な量によって制御していました。AE−1以前のキヤノンのAE一眼レフEFはシャッターレリーズと同時にメーターの針を固定して、その位置によって絞りの値を決めるという、極めて機械的な仕組みを持っていました。AE−1はそれらの操作をデジタル化し、電気信号で(電気の物理的な量ではなく)コントロールするようにしました。ただ、スペックを見れば分かるとおり、AE−1のカメラとしての機能は基本的にEFを超えるものではありません。機械的にやっていたことを電気信号に変えたと言うだけです。シャッタースピードが30秒まであって、しかも設定したシャッタースピードをファインダー内で確認できるEFのほうが性能的には上と言えるかもしれません。しかしユーザーレベルで価値があったのは、標準価格の低下でした。電子化が部品数を減らし、製造工程の簡略化をもたらしました。ようは機械的に調整しなければならなかった部分が大幅に減り、歩留まりをよくし、製品の安定化をもたらしたのです。AE−1は爆発的に売れ、キヤノンの名を世界に知らしめました。

でも残念なことに私このカメラが爆発的に売れているのをよく覚えていません。1976年といえば小学校高学年。一眼レフなんて夢のまた夢で、カタログを見ることすらしていませんでした。当時使っていたカメラは「Anny10」です。カメラ屋さんではなくおもちゃ屋さんで売っていたカメラです。値段は2,800円。ボルタ判モノクロのフィルムを使っていました。絞りは8と11、シャッタースピードはI(インスタント)とB(バルブ)と言う極めて簡単な構造のカメラでした。それでも写真は撮れるのです。話はどんどん横道にそれていきますが、最近は子どもでも高級一眼レフを持っていますね。でも写真の勉強をするなら単純な構造のカメラの方がいいですね。私なんか学研の科学の付録から始まりボルタ判2台を経て→オリンパスペンEE→オリンパス35DCそしてやっとキヤノンA−1ですから、これはまさに150年のカメラの歴史を5年に短縮して追体験したようなものです。ちなみにパソコンもMS−DOS2.11からですから比較的歴史に忠実です。WINDOWS95からのユーザーにはわからないDOSコマンドもちゃんと使えたりします。そのわりにはHTMLが使えないんですが。オートフォーカスのありがたみや弱点はマニュアルフォーカスを十分経験した人しかわからないでしょうね。そうなると私は使い初めからAEでしたから、AEのありがたみや弱点がわからないことになりますね。でも多分そのとおりでしょう。いまだに何かあるとすぐAEに頼ってしまいます。ちょっと反省して最近は単体露出計をもってがんばっているんですが、基礎が出来ていませんから(若い頃にマニュアル露出で鍛えられていませんから)なかなか上達しないんです。子どもにはじめて与えるカメラはオートのついていないものがいいでしょう。鉄は熱いうちに打つべきです。ちなみにうちの子ども(5歳)が使っているカメラは、サンリオのキャラクターカメラです。確かにオートはついていませんが、操作するところもなにもない。これでは意味がないかもしれません。

話をAE−1に戻します(^_^;)。高校生の頃はそんなに豊かではなかったので一眼レフを2台持つなんて考えてもみませんでした。と言うわけで私がAE−1を手に入れたのは比較的最近です。中古カメラブームに浮かれて、某カメラ屋さんのジャンクかごから引っ張ってきました。絞り込みレバーのロックがきかないのですが、その他は問題なく重宝しています。基本的にはシャッタースピードを合わせてシャッターを切るだけですから簡単なカメラです。その他の操作は逆光補正ボタンくらいでしょうか?このボタンを押すと自動的に露出が+1.5EVになります。現代の分割測光のように頭が良いものではありません。「逆光の場合は、被写体がだいたい−1.5EVくらいになることが多い」と言う経験則に基づいて作られた大雑把なシステムです。でもネガカラーやモノクロを使っている限りはこれで困ることってめったにないんですよね。ワインダーはせっかくですから入手したいですね。デザイン的にはワインダーAの方が似合いますから、ここは安い方で行きましょう。これにFD50mmf1.8をつければ70年代中盤のカメラ小僧の出来上がりでしょう。標準系ズーム(ショートズームなんて呼んでいましたね)が流行るのはもう少しあとです。


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