アーガスC3とアメリカ
アーガスC3については蛇足集の方で十分インプレッションを書いた。ここではアーガスC3が物語るアメリカについて語りたい。
アーガスC3は戦前から戦後にかけてのアメリカを代表するカメラである。日本人にとって戦前から戦後にかけてと言うと貧しかった時代、物が無かった時代である。しかし、戦勝国で基本的に物があふれかえっていたアメリカでは、戦時中だって食料配給制度はなかったし、スイトンをすすっていたわけではない。基本的に金持ちで贅沢な連中なのである(金持ちなら喧嘩するな)。聞くところによると、南太平洋で戦っていたアメリカ軍の兵士たちは2週間戦うごとにオーストラリアで休暇(と言うか休養)があったらしい。また、どこの戦場に行っても本土と同じ値段(¢5)でコカコーラが手に入ったと言う。一度戦地に送り込まれたら、玉砕するまで戦った帝国陸海軍とはえらい違いである。卑近な例では湾岸戦争のときサウジアラビアにあった米軍基地の中ではマクドナルドが開店していたらしい。基本的に贅沢が好きな人たちである。であるから、アメリカの国民は太平洋戦争中にかかわらずカメラを買うことが出来たのである。このカメラは見るからに大量生産に向いたデザインで、まさに大量にアメリカに出回っていた。そのおかげで今でも相当数が市場に出回っている。
このカメラは実に1939年から66年まで作られたという驚異的な長寿カメラでもある。もちろんその間にわずかな改良はなされたが、基本的な構造に変化は無い。アクセサリーシューがついて外付けの露出計が付いたくらいである。私はこの過程を非常にアメリカ的であると感じる。日本人なら絶対にそんなことはしない。いろいろ改良して次々と新しい機能を付加して行くだろう。もちろんアーガスが後継機を作らなかったわけではない。C4やC44はC3の後継機に当たる。しかし、後継機が出てもC3の販売は続けられ、後継機の販売が終わっても引き続き販売されていた。そんなに長寿ならどうして大幅な改良が加えられなかったのだろう。
アメリカ人は「一瞬のひらめき」が優れている。何も無い状態からいろいろ新しいものを作り出す能力はきわめて高い。これには本当に頭が下がる。しかし、それを育てて行き、製品化する能力はあまり高くないような気がする。資源があって広大な国に住んでいれば細かいことをしたくなくなるのかもしれない。しかし日本人は違う。細かろうがなんだろうが最大限の付加価値を与えようと努力をする。オートフォーカスが良い例である。ご存知のとおりオートフォーカスの基本的なパテントはアメリカのハネウェル社が持っている。この辺のひらめきはすばらしい。しかし、彼らはこのパテントを使って、自動焦点のカメラを作ることが出来なかった。技術的に不可能だったのである。いや、技術的には可能であったのかもしれない。ただ根気が続かなかっただけかもしれない。もちろん時間をかけてオートフォーカス技術を熟成させれば製品化は可能であったろう。しかしアメリカン人はそんなことはしない。トランジスターだってもともとはアメリカ生まれだが、それをラジオにしたのはソニーである。アニメーションだって、1950年代はアメリカのほうが進んでいたが(私は子供のころチキチキマシン猛レースを見た世代である)、今アメリカのビデオショップは日本製のアニメーションでいっぱいである。そう言えば、数年前アメリカで流行ったアニメーションに「スピードレーサー」と言うのがある。じつはこれ「マッハGO!GO!GO!」そのものである。私は懐かしくて涙してしまった。現在のアメリカのアニメーションは日本の1960年代と変わりないのだろう。
C3は発売された1939年当時なら優れたカメラであったろうと思う。デザインは斬新だし、距離計だって付いている。セルフコッキングになっていないとか、フィルムカウンターが自動復元でないとか、巻き上げロックをマニュアルで解除しなければならないというのはこの時代であれば大した問題ではないだろう。問題なのはこんなカメラを1966年まで改良しないで作り続けていたことである。私はアメリカ人は新しい物が好きで何にでも進歩を求める人たちだと思っていたのだがどうやらそうでもないらしい。こと工業製品については全く違うと言っても良いだろう。市場のニーズを読みとってそれにマッチした商品を売り出そうとする気持ちがあれば、C3を27年間にわたって販売し続けるはずがない。
自動車だってそうである。石油ショック以降、アメリカ人だって燃費の良い壊れにくい車を求めていたのである。たまたま日本の車がそのニーズにマッチしたため爆発的に売れたのだが、これはどう考えてもアメリカの自動車会社の怠慢である。そのくせここの人たちは自分の怠慢を思いっきり棚に上げて他人に向かって文句だけは一人前に言う。その上政治的な力は抜群に強いから始末が悪い。「爪の垢を煎じて飲む」と言う気持ちがかけらもないのだ。
もっとも市場のニーズに問題がないわけではない。アメリカ人はともかく安いものが大好きである。もちろん私も安いものが大好きであるが、この私をしても時々ついて行けなくなることがある。例えばヘッドホンステレオ。今の時代日本のどこを探してもオートリバースの付いていないヘッドホンステレオを見つけることはできないのではないだろうか(遊歩人は別)。アメリカにはある。それもたくさん。と言うかオートリバース付きを探す方が難しいかもしれない。パナソニックやソニーと言った名だたる日本のメジャーブランドの会社の製品でさえオートリバースは付いていないものが多い。そして$30未満の値段が付いている。付加価値のある高いものより、シンプルな安いものの方が受けるのである。これは日本人の価値観とは根本的に別ものである。
C3を改良して値段が上がれば売れなくなるかもしれない。後継機のC44は2年で生産が終了してしまった。C44はアメリカ人にとっては高かったのかもしれない。基本的にEOS−1が飛ぶように売れる国とは価値観が違うのである。改良して売れなくなるのなら面倒くさいから改良しない方がいいに決まっている。そうやっていくうちに技術的に立ち後れてゆき、C3の生産を終了したあと、その後の時代にマッチしたカメラを作ることができなかったのではないかと思うのである。
いかにもアメリカ的な結末であろう。
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