ハネウェルと日本メーカーのオートフォーカス訴訟

 最近10年のアメリカカメラ業界で特筆すべき出来事は優れたカメラでも新しい技術でもなく訴訟である。ご承知の通りアメリカは訴訟の国。日本のカメラメーカーに対しオートフォーカスの基本特許を持つハネウェルがその侵害を訴えて起こしたのがこの訴訟である。私はこの分野の専門家ではないので、詳しい技術的な問題や法的な話については聞きかじりの域を出ない点はご容赦いただきたい。

 ご存じの通りミノルタカメラは1985年にα−7000を製品化、市場で圧倒的な支持を受け同社の売り上げは爆発的に伸びていた。当初月産3万台ペースでスタートしたが1年後には10万台を突破、αシリーズの約3割はアメリカ市場に輸出され、当然ここでも大好評を博していた。ところが1987年4月にオートフォーカスの基本特許を所有するハネウェル社が、ミノルタをはじめとする日本のカメラメーカーを相手取り特許訴訟を起こした。ハネウェル社の所有するオートフォーカスの基本特許「ストファー特許」を日本のカメラメーカーが侵害しているというのがハネウェル社の主張であった。

 ストファー特許というのは、オートフォーカス技術としては非常に基本的な部分をなす特許で、位相差検出法の基本技術を述べたものである。簡単に言うと、被写体からの光を2つに分割して像を結ばせ、二つの像の強度分布に差があれば焦点が合っていないことがわかるという技術である。しかし、この技術だけでは一眼レフのオートフォーカスには不十分だったらしい。ハネウェル社の製品では、ピントが合っていないことの判断はできても、ピントがどれくらいずれていて、どれくらいヘリコイドを動かせばピントが合うかはわからないのである。キヤノンAL−1を思い浮かべてもらえればよい。ピントがずれていてどの方向にピントリングを回せばよいかはわかるが、どれくらい回せばよいかは出力されないのである。この方法はヘリコイドの動きの少ないレンズ固定のコンパクトカメラに使うなら十分であったかもしれないが、魚眼から超望遠まで対応しなければならない一眼レフのピント制御方式としてはいささか心許ない。日本の各メーカーは一眼レフのオートフォーカス化を目指していたがハネウェルのこの特許が障害になって開発が進まなかったらしい。また、ハネウェル社の開発ペースも遅々としており、日本企業のニーズを満たすものではなかった。
 ハネウェル社はもともとはカメラの生産も行っていた会社で1960年代から70年代にかけてアサヒペンタックスの代理店を勤めたのは有名な話である。アメリカ市場にはハネウェルとペンタックスの両方の名前が入ったSシリーズのカメラを頻繁に見かける。しかし、他のアメリカメーカーと同様、技術的に日本企業に太刀打ちできなくなり、結局カメラのメーカーとしてではなく制御機械のメーカーとなって生き残っていた。オートフォーカス一眼レフの開発に命を懸けていた日本のカメラメーカーとアメリカの制御機械のメーカーでは、新しいオートフォーカスモジュールの開発に対する熱意が違って当然であろう。
 業を煮やしたミノルタは独自の技術で解決を図ることにした。位相の違いを測定しピントのずれ具合をコンピューターを使って瞬時に計算してヘリコイドの移動量を決定するメカニズムを開発したのである。この方法を使えばトライアンドエラーで合焦ポイントを探すハネウェル方式では実現できなかった幅広いオートフォーカスが実現可能である。ミノルタはこの時点で、この新技術はハネウェルのストファー特許を越えるものと考えていた。つまり特許の侵害はないと判断したのである。
 このミノルタの判断には理由がある。実はストファー特許はアメリカでは認められたが日本では新規性に欠けると言う理由で特許を認められていなかったのである。ミノルタがストファー特許をことさら重視しなかったとしても無理はないであろう。ミノルタが日本で商売をしているうちは問題がなかった。そもそも日本にストファー特許はないのである。しかし、αシリーズがアメリカ市場を席巻したとき、ハネウェル社は行動を起こしたのである。

 ハネウェルは1987年4月、ミノルタα−7000の技術はストファー特許をはじめとする4件の特許技術を元にしており、ハネウェル社の権利を侵害したとして連邦裁判所に提訴したのである。損害賠償の請求額は1億7400万ドル。さらにハネウェル社はミノルタが故意にストファー特許を侵害したとして3倍の賠償額を請求した。この裁判はアメリカの裁判制度に従い陪審制で行われた。
 陪審制というのは一般から選ばれた人が合議性で、裁判を行う制度である。実は昨年末私のところに「陪審員の候補者に選ばれたのでコロラド州の裁判所に出頭せよ」と書かれたはがきが送られてきた。裁判所への出頭命令だったのではじめはわけも分からずパニックに陥ったのだが、友達に説明を受け一安心した。私は学生時代、先生に呼ばれるとまず「どの悪事が見つかったのだろう」と不安になるタイプだった。私はアメリカ人ではないので陪審員の資格はない。と言うことで放って置いたら今年の1月に裁判所からお叱りのはがきが届いた。どうやら彼らは私が陪審員への出頭を拒否したと思ったらしい。仕方がないので裁判所に電話をして自分がアメリカ人でないことを伝えた。それでも信用しない彼らはビザのコピーを郵送することを私に命じた。相手が裁判所では仕方がない。言われるとおりにして、どうやら許してもらえた。陪審員に選ばれると言うことはアメリカ人でも滅多にない名誉なことらしい。私に送られてきた葉書はオフィスの中でかなり人気が高かった。しかし、せっかくの運をこんなことで無駄遣いしたくないと言うのが私の本音である。
 ミノルタは陪審員に対しミノルタの技術とストファー特許の違いを必死に説明した。しかし、ミノルタの説得は認められず、1992年2月、5年に及ぶ裁判の結果、3倍賠償は却下されたもののストファー特許への侵害を問われミノルタに対し損害賠償の支払いが命じられた。具体的には、侵害の有無が問われた4件の特許のうち、ストファー特許とオガワ特許の2件の侵害、1件非侵害、1件は特許自体が無効と判断された。賠償額は、特許侵害のあったαシリーズの販売額の10%程度を目安に、9635万ドルと算出された。ミノルタは和解を決意し以後の特許使用も含め1億2750万ドル(166億円)を支払うことで裁判が終了した。

 この裁判は日本にはなじみのない陪審制で行われた。提訴された1987年は日本は好景気、アメリカは不景気の時期であり、アメリカ市場を荒らす日本企業に対し、不利な裁判がなされるのではないかという不安があった。判決はミノルタにとって不幸なものであったが、この裁判においては陪審員は正しく機能したというのが概ねの評価であるらしい。陪審制度の良否と言うよりも、日本とアメリカの基本特許に対する認識の違いがこの判決を引き出したと見るのが一般的な理解である。
 日本は基本特許を上回る技術があればそれを新規の技術をして認めるが、アメリカの場合は新技術の一部であっても既存の基本特許があればその侵害を問うのである。
 しかし、アメリカにおける裁判でミノルタのような結果になったのはこれが初めてではない。1989年に結審したコーニング社 対 住友電工の光ファイバー裁判でも同じような判決が出され住友電工はアメリカ市場から撤退することになってしまった。それがアメリカの特許に関する考え方なのである。

 ハネウェルはミノルタ以外のカメラメーカーに対しても同様の訴訟を起こしており、ニコンに対し57億円、旭光学から25.2億円+今後の使用料、オリンパス光学からも42.3億円を損害賠償として受け取った。その他富士フィルムやチノンも和解金を支払った。言い方は悪いがハネウェルにとってはボロい商売である。

 しかし日本のカメラメーカーの中で2社だけ賠償金の支払いを免れた会社がある。キヤノンとリコーである。キヤノンはキャノンが保有する別の特許と引き替えにクロスライセンス契約を取り付けることに成功したのである。前述の通りハネウェルはもはやカメラメーカーではない。カメラ関係の特許なら見向きもしなかったであろう。これはキヤノンがカメラだけのメーカーでなかったことが幸いしたといえる。もう一社はリコーである。リコーはハネウェルの発売している製品を調べ、リコーが持っている特許を侵害している事実を突き止め逆提訴した。この裁判はミノルタ裁判が終わったあとも続いたが1994年に双方とも訴訟を取り下げて終わった。刺し違えと言われる戦術である。結局幅広い技術を持った会社が勝利したのである。

 この裁判はいろいろな問題を含んでいる。判決に従えば、ハネウェルの開発を待たなければオートフォーカス一眼レフは開発できなかったことになる。しかしそれは世界中のカメラユーザーにとって不幸であろう。そもそものストファー特許が日本では認められないような代物であり、そんな特許のために優れたカメラの開発ができないと言うのはあまりにばからしい話である。
 確かにアメリカ市場は大きい。しかし、彼らの特許に対する考え方は少し拡大解釈しすぎではないだろうか。もし1992年の判決を受けて日本の全カメラメーカーが足並みを揃えてアメリカ市場から撤退したらどうなったであろう。日本の優れたオートフォーカス一眼レフカメラをアメリカユーザーだけが使えないことになる。しかし、アメリカのユーザーがそんな状況に甘んじているとは思えない。ものを知らない素人の意見ではあるが、あの時思い切ってアメリカ市場から全員で一時的に撤退していれば、状況は変わったのではないかと思う。日本の技術は優秀である。現在まともなオートフォーカス一眼レフを作れるのは日本のカメラメーカーだけである。日本のメーカーを排除すれば代わりのカメラはないのである。その強みを最大限に生かす方法を考える必要もあると思う。

 もちろん知的所有権を軽視するわけではない。しかし、いつかこの人たちにいつか熱いお灸を据えなければならないと思っているのは私だけではないと思う。






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