キヤノン AT−1


 アメリカを去るまでに何とかしたいと思っていたAT−1を、帰国10ヶ月前に手に入れることが出来ました。「Aシリーズに萌え萌え」などという大それたホームページを立ち上げたくせに、肝心のAシリーズが全部揃っていないと言うのは何とも心苦しい状態でした。

 私がAT−1と言うカメラの存在を知ったのは高校時代です。A−1愛好者でかつ時間が無限にあった当時の私は、アサヒソノラマの「キヤノンA−1のすべて」と言う新書版の本を買って研究に余念がありませんでした。その巻末にキヤノンのカメラの歴史のようなページがあり、そこにひっそりとAT−1のことが紹介されていたのです。もちろんその当時はA−1だけで手がいっぱいでとてもAT−1のことを考える余裕(含む金銭的余裕)はなかったのですが。

 AT−1はご存じの通り、追針式のマニュアル露出カメラです。FTbと比較しても性能的にアップしているところはおそらくないでしょう。FTb−Nなら、ファインダー内でシャッター速度の確認が出来ますから、部分的にはFTbの方が性能がいいといえるかもしれません。キヤノンが1976年という時期にAT−1を出したのは非常に興味深い物があります。

 キヤノンとしての公式見解は、AE−1発売後に一部海外市場からのマニュアル専用機の要望があり、それに応えたということです。しかしAE−1の発売が1976年4月、AT−1が同じ年の12月。8ヶ月のタイムラグで市場調査をし、それに答えるカメラを設計して販売できるかどうかは実のところちょっと疑問の残るところです。常識的に考えれば1976年4月にAE−1を発売開始し、その評価が確定するまでにどう考えても半年はかかるでしょう。電子メール等が存在しなかった時代、マニュアル機が欲しいと言う要望がキヤノンまで届くのにはやはり半年近くのサイクルが必要な気がします。もちろんAT−1はAE−1をベースにして作っていますので、何年にも及ぶ開発期間は必要ないでしょうが、キヤノンの公式見解は少し苦しいような気がします。証拠はどこにもないのですが、8ヶ月という期間はせいぜいが初期故障に対応してマイナーチェンジするのが精一杯だと思います。トップカバーをはずしたAE−1とAT−1を比較するとわかるのですが、当然ながら回路は全く別物です。右半身はそっくりですが左半身は結構違います。逆に言えば軍艦部以外は全く同じです。本当に8ヶ月でAE−1からAT−1が作れたのかどうか微妙ですね。
 私は、何となくキヤノンは初めからAT−1を作るつもりだったのではないかと思います。実際問題として1976年当時、日本にマニュアル一眼レフのニーズがなかったかというとそんなことはありません。ペンタックスはKX・KMからMX、オリンパスはOM−1、ミノルタはSRシリーズの末期、ニコンはニコマートFTNからニコンFMとまだまだマニュアル露出の一眼レフが市場にあふれていました。キヤノンがAE−1の姉妹機としてAT−1を用意していたとしても決して不思議はないでしょう。しかし、AE−1の発売から半年、予想以上のAE−1の好調に、安価なAT−1の国内での発売を躊躇したのではないでしょうか。
 あるいは、当時はAE専用機のペンタックスMEが発売になる前です。市場にあるAE機はすべて露出計連動のマニュアルが可能でした。そこに、ほとんどAE専用機と言っても良いようなAE−1です。露出計を内蔵していながら露出計連動マニュアルが出来ないカメラというのはAE−1が初めてです。AT−1はAE−1の保険のような意味があったのではないでしょうか?今でこそ、AE専用機は珍しくないですが、70年代中盤という時代を考えると、キヤノンAE−1は一種の冒険だったのかもしれません。
 ただ、海外で安価なマニュアル一眼レフのニーズがあったのは事実でしょう。ペンタックスがK1000を90年代中盤まで販売して他のも、キヤノンがEF−Mなんて言うマニュアルフォーカスのカメラを作ったのもすべて海外のニーズがあったからです。逆に言えば、海外でAT−1を発売したキヤノンの判断は正しかったといえるでしょう。
 絞り優先専用機のAV−1も海外からの要望で作ったと言われるカメラです。このカメラは1979年5月の発売です。AE−1の市場における評判を調査し、意見を集約して新しいカメラを作るのには、やはりこれくらいの時間が必要なのではないかと思うのです。

 さて肝心のAT−1ですが、実際に手に入れるまではあまりポジティブな印象を持っていませんでした。いわゆる食わず嫌いという奴です(もちろん嫌いと言うほどでもありません)。だからこそ最後まで残ってしまったのですが。「いまさら、AE−1のボディに追針式のマニュアルを入れてもねぇ」くらいにしか思っていませんでした。しかし、実際に使ってみると、これがなかなかの使い心地です。追針式のメーターはすごく見やすいですし、大きさも手頃です。何より、他のAシリーズと同じ感覚で使えますので、これ以上ありがたいことはありません。もちろんメカニカルシャッターではないのですが、それは実際に写真を撮る上では何ら関係のないことですし、そもそも私はメカシャッター信者ではありません。Aシリーズのカメラを使い慣れている方には躊躇なくおすすめできるカメラです。ちょっと気合いを入れてとるときにはもってこいのカメラでしょう。
 私は日本の中古市場ではこのカメラを見たことがありません。もちろん本気で探せばあるでしょうが、国内においては比較的珍しいカメラです。まあ、海外から逆輸入するまでのこともないのでしょう。人と違ったカメラで写真を撮りたい人にもお勧めできるカメラですね。

 AT−1は結局キヤノンが出した、最後のマニュアル専用機になりました。 NewF−1を除けばFDシリーズで露出計連動マニュアルが出来るのもこのカメラが最後です。
 AT−1とAE−1。まさに双子のカメラですが、その運命は全く違った方向に進んでしまいました。AE−1はAEに特化してゆくAシリーズのトップバッターとして、AT−1は脈々と続いていた追針式マニュアルのラストバッターとして。結局キヤノンがAT−1を国内で発売しなかったことが、その後のキヤノンの進んでいった方向を決めたと言っても良いでしょう。そういった意味でAT−1はきわめて象徴的なカメラだと思うのです。



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