ニコン F 

 ニコンFは名機である。みんなが名機だと言っているからである。主体性のない言い方だが、みんながそう言っているのだからしょうがない。結局名機がどうかは人が決めるもので、みんなが名機だと思えば、それは間違いなく名機となるのである。それでは「名機」とはいったいなんだろう?名機と一口に言ってもいろいろなパターンがあるようで、必ずしも性能がよければ名機になれるわけではない。卑近な例を挙げられないので、またしても昔の飛行機の話になってしまうが、たとえば零戦(ゼロ戦)は名機である。出現当時は性能もよく、大戦初期には空前の大活躍をした。ゼロ戦のライバルであったグラマンF6Fヘルキャットも名機として数えられている。ヘルキャットはエンジンの馬力が強く、機体も頑丈だったが、性能的には「並」で世界の水準から見ても普通の戦闘機だったといわれている。しかし、名機ゼロ戦と渡り合い死闘を繰り広げ、米海軍に最終的な勝利をもたらした立役者であるヘルキャットは、やはり名機として数えられるのである。大戦末期にグラマンはF8Fベアキャットという高性能艦上戦闘機を開発し戦線に投入した。このベアキャットこそ性能的にも世界のトップ水準で、あらゆる面で枢軸国の戦闘機を凌駕する性能を持っていた。しかし、結局ベアキャットは日本機と交戦することなく終戦を迎えた。そして次の朝鮮戦争はすでにジェット機の時代にはいっており、ついにベアキャットの出番はなかった。性能的に並みだったヘルキャットは名機であり、トップの性能を誇ったベアキャットはほとんど誰の記憶にも残っていない。要は、タイミングと実績が大切なのである。

 ニコンにとってタイミングがよかったのは、Fと言うよりはニッコールレンズであろう。いまさら説明の必要がないほど有名なエピソードとなった、朝鮮戦争での高い評価の話である。あの時、たまたまD.D.ダンカンがニッコールを持ったまま朝鮮戦争に従軍しなければその後のニコンのストーリーも大きく変わっていただろう。もっとも、朝鮮戦争で評判を高めることができたと言うのは何よりまずニッコールが高い性能を持っていたからであり、先の例で言うならばベアキャットが絶妙のタイミングで戦線に投入されたようなものであろう。

 さて、肝心のニコンFである。ニコンFは、1959年の発売である。1958年から59年にかけてカメラメーカー各社は相次いで一眼レフカメラを発売した。当時の一眼レフはやっとクイックリターンミラーが一般化してから5年ほどしかたっておらず、ようやく実用化の第一歩を踏み出したばかりだった。その当時の「フル装備」は、ペンタプリズム、クイックリターンミラー、自動絞りの3つだったらしい。ZUNOWが1958年に初めて実現した「フル装備」を高い完成度で実現したのがニコンFであった。ちなみに、キヤノンもニコンFと前後してキヤノンフレックスを発売する。

 ニコンFの魅力はそのシステム性と頑丈さであろう。当時一眼レフが登場するまでの高級機と言えば、レンジファインダーの付いたフォーカルプレーンシャッター機であった。ニコンSPやキヤノンIVSb改が代表格である。それらのレンジファインダー機に対し一眼レフがアドバンテージを持っていたのがシステム性である。レンジファインダー機はピント合わせとフレーミングの問題から、どうしても望遠側の交換レンズには限界がある。がんばっても135mm以上は厳しい。また、接写も出来ないわけではないが得意分野ではない。要はライカがビゾレックスに頼っていた部分が一眼レフのアドバンテージであり、レンジファインダー機の苦手分野なのである。逆にいえば、一眼レフはベローズをはじめとする接写関係のアクセサリーや望遠レンズをそろえないとその存在価値が高まらないのである。そのためにはカメラをシステム化し、アクセサリーを取り揃える必要がある。ニコンFは最初からシステムカメラを目指しており、レンズも優秀なニッコールがどんどんそろっていった。また、ファインダーが交換式であったため、さまざまな撮影場面に合わせて最適な組み合わせを提供することが出来た。1960年代は一眼レフがTTL化していった時代であるが、ファインダーを交換できるニコンFは外光露出計からTTL連動露出計までアクセサリーの交換だけで対応できた。
そして、ニコンFが他の一眼レフを凌駕するにいたった最大の理由が、頑丈なボディと高い信頼性であった。結局、信頼性の高さがニコンFのプロと道具としての地位を確かなものにしたのである。

 1960年代にプロの使用に耐えるシステム一眼レフはニコンFだけであった。キヤノンフレックスシリーズは悪いカメラではなかったが、システムの面でニコンに遅れをとっていたし、何より一眼レフに対するキヤノンの姿勢が曖昧だった。キヤノンはレンジファインダー機ですでにかなりの成功を収めていたため、思い切りよく一眼レフにシフトできずにいた。f0.95のレンズで有名なキヤノン7シリーズはキヤノンフレックスシリーズと並行して販売されていた。当時のキヤノンのプロ用機は一眼レフではなくレンジファインダーだったのである。1960年代のキヤノンの対応はその後のキヤノンのフットワークの良さと比較すると興味深い。1970年代以降のキヤノンは電子化したAE一眼レフの先鞭をつけ(AE-1)、オートフォーカス時代にはそれまでのマウントを潔く切り捨て(EOSシリーズ)、主要メーカーの中で最初にマニュアルフォーカス一眼レフに見切りをつけてきた(NewF-1)。ギリギリまでレンジファインダーを引きずった面影はもはや感じられない。もしかすると、そのときの教訓がいかされているのかも知れない。
オリンパスはユニークなペンFシリーズを出していたが、ニコンFの敵ではなかった。ペンタックスはSシリーズ、SPが大ヒットしており、アマチュアはこぞってSPを買っていたが、プロ用となると「これ」と言う機種が存在しなかった。ミノルタもSRTシリーズを出し、アマチュアを中心にアピールしていたが、プロ用としてはやや物足りなかった。
このような背景のもと、ニコンFはプロを中心に大きく支持者を伸ばしていった。キヤノンがプロ用と呼べる一眼レフ(F-1)を送り出したのが1970年であるから、1960年代はニコンFの一人勝ち状態だったわけである。キヤノンF-1も名機に数えられ優れたカメラであったが、販売実績はニコンF2にはかなわなかったらしい。両雄ががっぷり四つに組むのは1980年代になってからである。つまり、ニコンにとっては生産終了後10年近くはニコンFの遺産があったことになる。これだけの実績があるのだから誰がみてもニコンFは名機なのである。

 冒頭では嫌みのある書き方をしたが、私もニコンFが名機と評価されることには依存はない。実際にすばらしいカメラである。ただ、私が気になるのは、名機と言う評判があまりに大きくなりすぎて、なんだか宗教じみてきている点である。ニコンFとて完璧ではないし、改善した方がいい点はある。しかしそれを口にすることすらはばかられる、「ニコンF原理主義」的な風潮が実際にあったのだ。最近の中古カメラブームの冷却化に伴い、あまりばかげた話は耳にしなくなったし、中古の相場も落ち着いているのはいい傾向である。

 カメラ全体がデジタルに方向転換し、フィルムカメラの終焉が見えてきた今、ニコンFを現役として使える期間もそう長くはないかもしれない。フィルムが完全になくなるのはまだまだ先の話だろうが、手軽にプリントできる時代は終わりを迎えるかもしれないと思う。この名機を少しでも長く使っていきたいと切に思う次第である。