キヤノン EF

キヤノンEFは1973年発売のカメラである。1973年頃と言えば私は8歳、とてもカメラなんかに興味を持っている年齢ではない。私の家では前の年にテレビがカラーになり、カセットテープレコーダーがやってきたころである。札幌オリンピック(1972年)は白黒テレビで見たのを覚えている。家のカメラは相変わらずオリンパスペンS、ただ、なぜかフジカシングルエイト(8mm)があった。そう言えば1973年はオイルショックの年だったが、私としては10円だったアイスキャンディーが30円になり、30円だったロッテのガムが50円になったくらいしか覚えていない(子供にとっては大事件だったのだが)。キヤノンEFはそんな年に発売された。

このカメラはキヤノン一眼レフの歴史の中ではきわめて重要な位置を占めるカメラである。シャッター優先AE主義のキヤノンがその意地を見せて、ちゃんとした一眼レフでシャッター速度優先AEを実現したのはこのカメラが最初なのである。まあ、キヤノンEXシリーズというのもあるにはあったが...当時の技術では明らかにシャッター速度優先AEより絞り優先AEの方が楽だった。電子シャッターが実用化されたためシャッター速度の制御は電気的にコントロールできるようになっていた。それに対してシャッター速度優先AEの場合はどうしたって絞りの制御を機械的に行わなければならない。露出計に示される電気的な量を物理的な量に変えなければならない。この当時シャッター優先AE機を出していたのはキヤノンとコニカくらいではなかっただろうか。それだけ面倒くさいものだったのだ。

EFはメカニカルと電子式のハイブリッドシャッターを採用している。基本的にはコパルスクエアを採用したメカニカルシャッターなので、電池がなくても動く(1/2秒〜1/1000秒)。そして1秒のガバナーの部分を改良して1秒以上のシャッター速度を電気的に制御している。機械的にコントロールするのは1秒が限界でそれ以上のシャッター速度で信頼できる制度を出すためには電気的に制御するしかなかったのだ。ニコンF2はセルフタイマーを利用して10秒までコントロールできるが、これは例外である。EFの場合はシャッター速度優先AEだから、先にシャッター速度を決める。ファインダー内にはシャッター速度とそれに対応する絞りがメーターで表示される。シャッターを押すと、まずメーターの針が機械的に固定され、その針の物理的な位置に対応して機械的に絞りをコントロールする。かっこいい。EFのスケルトンボディを作ってぜひその辺の動きを眺めて見てみたいものだ。ただ、これだけ凝った仕掛けを持っているので、値段も決して安くはなかった。

なお、EFの使い方はkintaroさんのホームページCOLORSの中のEFの使い方に詳しく載っている。

キヤノンEFは中古カメラ屋さんでも、そんなにしょっちゅう見かけるカメラではない。要は大ヒットはしなかったのだ。ただしカメラが悪いわけではない。タイミングが悪かったのだけなのだ。発売されてすぐオイルショックの不景気でただでさえ消費は冷え込んでいた。そこでタイミング悪く値上げである。オイルショックからAE−1発売までの数年間は本当に、カメラだけでなくすべての消費財が売れなかった時期なのだそうだ。こんなにいいカメラなのに、本当に残念である。話によると、当時AEは初心者のものという風潮があったそうだから、AEをメインに据えた中級機というのは少し時期が早かったのかも知れない。キヤノンの先見性はすばらしいのだが、なにせ試行錯誤の時代だったのだ。
キヤノンEFはAシリーズの先行者的なカメラである。ただキヤノン自身の見解としては、AE−1はFTbの後継機なのだそうだ。確かに値段的にもAE−1とFTbは同じ価格帯である。となるとEFの後継機はA−1と言うことになるのかも知れない。AE−1のスペック上の性能は部分的にEFを下回るところもある。それに対しA−1はストロボシンクロ時のシャッター速度以外は、ほぼすべてにわたってEFと同等もしくは上回る性能を達成している。なんにせよ、EFはAシリーズを生み出すためにはなくてはならないカメラだったのだ。

Aシリーズのカメラは基本的にマニュアルの時、露出計は連動しない。EFもレンズのAマーク(もしくは○マーク)は外すだけでマニュアルになるが、やはり露出計は連動ない。ただし絞り込みレバー(セルフタイマー)をレンズ側に倒すと絞り込み測光になり、定点式のマニュアルになる。このあたりもAシリーズに近い仕様で、A−1では絞り込み測光時もAEにしてしまった。

割とよく知られた話で、数年前にNIFTYの会議室でも話題になったのだが、EFには前期型と後期型が存在するらしい。内部的にはかなり違うようだが、目に見えて識別可能なところはファインダースクリーンである。前期型はマイクロプリズム、後期型はスプリットマイクロになっている。ピント合わせは後期型の方がやりやすい。シリアルナンバー240000番前後を境に変わっているようだが、はっきりしたことはわからない。

安物好きの私は同じカメラを2台持つことはそんなにないのだが、EFは2台持っている。それほどEFは好きなカメラなのだ。実は大学時代A−1を盗まれたのあと、数年間EFを使って手放した。だから、今のEFは2台目、3台目と言うことになる。EFを手放した経緯はちょっと複雑なのだが決してEFが気に入らなかったからではない。2台目のEFは出張で行った札幌のグラフ商会で買った。私としては清水の舞台から飛び降りるくらいの大枚をはたいて買った(といっても、EFとしては相場通りの金額である)。程度もよく納得の1台だった。ちなみに前期型である。

次に手に入れたのは、やや使い込まれている格安の1台だった。これがちょっと変わっていて、シリアル番号的には前期型なのだが、スクリーンはスプリットマイクロで、さらに、随所に改造のあとがある。

(1)EFのシャッターダイヤルは大型でファインダーを覗いたままでも、楽に操作できる。ただ、大型過ぎてボディ前方にかなり出っ張っていて、あやまってシャッターダイアルが廻ってしまうことがある。私のEFはボディの方に膨らみがつけられていて、不用意にシャッターダイヤルが動かないようになっている。
(2)ボディ左側にあるシンクロターミナルのカバーが取り外されている。EFはシンクロターミナルとホットシューの両方でストロボが使えるが、ターミナルのカバーがスイッチになっていて両方同時には使えない。私のはそのカバーが取り外されて両方同時に使えるようになっている。
(3)CATのスイッチが取り外されている。EFは専用ストロボと特定のレンズを使用することにより、フラッシュマチックになる。そのシステムをCATと呼んでいるが、今CATを使うメリットはそれほどない、何より専用ストロボはほとんど手に入らない。それだけならまだしも、うっかりCATスイッチがオンになってしまうと、片方の電池だけが減るという何とも困った不具合が発生する。当時はともかく、今となってはほとんど価値はない。このスイッチが取り外され蓋がされている。


この改造は私のものだけではなく、今まで見たEFの中で他に2台確認されている。カメラ博物館に上野千鶴子さんから寄贈されたというEFにも同じ改造が加えられていた。誰がどこでやったんのだろう。素人作業には見えまないから、専門の業者があったのかも知れない。ご存じの方が、いらっしゃったらぜひ教えていただきたい。

わたしは1998年の冬にEFを分解清掃に出そうとした。ところがキヤノンのサービスセンターで、「今正常に動いているのなら、下手にいじらない方がいい。もし分解清掃をして、不具合が発生しても、もう部品がないしどうしようもない。こわれていて、だめでも良いと言うことならしょうがないが、今正常なら分解清掃はお奨めしない」と言われて、結局分解清掃には出さなかった。この対応をどう取るかは意見の分かれるところだろうが、私は好意的に解釈した。EFというのはもはやそう言うカメラなのだと言うことである。大切に使ってやらなければなりらない。



戻る(検索エンジン等でご来場のかた用です。左にメニューがでている方はそちらをご利用ください)