アサヒペンタックス ES

 アサヒペンタックスESは世界初の電子シャッター使用絞り優先AE一眼レフである。世界初のAE一眼レフはコニカAutorexであるが、こいつはシャッター速度優先AEしかもメカニカルシャッターであった。ES以降1970年代はAE一眼レフ花盛りであったが、そのほとんどは電子シャッター式の絞り優先AE一眼レフであった。電子シャッターと言うのは絞り優先AEになじむシステムである。露出計によって出力されるのは電気的な信号であるから、それをそのままシャッター速度のコントロールに利用できるメリットは大きい。絞りが羽式の絞りである以上、それは機械的なコントロールにならざるを得ない。そうなると、シャッター速度優先AEと言うのは、どうしても複雑なシステムになってしまう。具体的には、露出計の出力をメーターで物理的な量にし、さらにメーターの針を押さえて固定してその位置を絞りの開き具合に反映させる必要がある。1970年代後半になると電子化がますます進んでメーターを押さえるようなことはなくなったが、それにしても電子式シャッターのメリットは大きかった。ちなみにキヤノンで言えばメーター押さえ式はEF、電子式シャッター速度優先AEはAE−1以降である。
 さて、ESである。当時ペンタックスは伝統のペンタックスSマウント(M42、プラクチカマウント)を使用しており、ESのためにマウントを変更するようなことはしなかった。ただし、SPで採用した絞り込み測光はESを機に開放測光へと変更された。ES発売のわずか4年後にはSマウントからバヨネットマウントであるKマウントに変更されるのだから、苦労してスクリューマウントで開放測光を達成した意味があったかどうか微妙なところであるが、スクリューマウント好きに私にとっては便利なAE一眼レフがあると言うのは単純にうれしい話である。スクリューマウントで開放測光を実現するための複雑なシステムはSPFの項で書いたので繰り返さないが、この機構を実現したアサヒペンタックスの苦労は想像するに余りある。
 ESは電子式のシャッターを採用しているため、露出のコントロールもすべて電気で行っている。当然、そのための回路の設計・開発も容易ではなかったはずだし、それだけの電子部品をカメラに組み込んだ経験はどこのメーカーもなかったであろう。ちなみに電子シャッターを採用した一眼レフとなるとESが最初ではなく、ヤシカがTLエレクトロXと言う機種で、電子シャッターを採用していた。しかし、TLエレクトロXはマニュアル露出、絞込み測光のカメラで、シャッター速度が無段階に選択できる以外は電子シャッターを利用したメリットを感じないカメラであった。無段階に選択できるというのは、何のことはないシャッターダイヤルの中間値を自由に選択できるだけであり、実際には却って使いにくい気がするが、いかがであろうか。ESは新規開発の大規模なの電子回路を収納しながら、それまでのSシリーズのフォルムをほとんど崩していない。しいていえば、底板がやや厚くなって、高さが増加している程度である。初期型のESは集積回路を使わずにシステムを完成させたらしい。これはこれで「巧みの技」であろう。
 肝心のカメラとしてのできであるが、使いやすいユーザーフレンドリーなカメラである。最もカメラが本格的に複雑になるのは80年代後半からだから、その当時としては一般的な使い心地だったのかもしれない。シャッターダイヤルを「AUTOMATIC」に合わせれば絞り優先AEになり、これが基本モードである。ファインダーには絞りにあったシャッター速度がメーターで表示される。設定絞り値はファインダーには表示されない。マニュアル露出ももちろん可能で、シャッターダイヤルのオートを外すマニュアルでシャッター速度を選択できるようになる。ただし、マニュアルで選択できるシャッター速度は1/1000秒から1/60秒まで。低速シャッターはマニュアルでは選択できない。このマニュアルで選択するシャッターはメカニカルシャッターで電池がない状態でも作動する。この仕様は後継機のESUでも同じである。ESのシルエットはそれまでのSシリーズを踏襲しているが、使用電池は水銀電池から6Vの酸化銀電池に変更されている。この酸化銀電池の収納場所には苦労したようで、右のエプロン部(セルフタイマーレバーが置かれる場所)に飛び出すようにくっつけられている。この電池室のせいだろうが、ESにはセルフタイマーが装備されていない。後継機のESUになるとセルフタイマーが復活するので、つけなかったのではなく、つけられなかったとみるべきであろう。
 ものの本によると、ESにはどうやら3タイプあるらしいことがわかっている。初期型が、日本国内のみで発売されたバージョン。このタイプは集積回路を使用しておらずオートの際のシャッター速度は1秒まで。ファインダーのメーターはスイッチオフのときは1秒側に振り切れている。その次のバージョンが集積回路を使用して安定性を向上させたバージョン。最後がオート時のシャッター速度を8秒まで拡張した最終バージョン。この最終バージョンは輸出のみという話もある。ファインダーのメーターはスイッチオフのときは1/1000秒側に振り切れている。機種名のロゴがELECTRO SPOTMATICではなくESとなっており、たまに国内の中古カメラ屋で見かけることもある。おそらくこの最終バージョンが後継機のESUに発展するのだろう。
 ESはすべてのバージョンを合わせると3年間で13万台程度販売されたらしい。ボディ単体の価格がSPの倍であった割にはよく頑張ったといえるのではなかろうか(SPが30000円に対し、ESが60000円)。ちなみにSPの販売数は約180万台で、有に一ケタ違う。さすがに大ベストセラーである。
 ESが開拓したAE一眼レフが本格的に受け入れられるには、さらに5年近くの歳月が必要だった。当時は自動露出はAE(Auto Exposure)ではなくEE(Electric Eye)と呼ばれており、どちらかというと初心者向けというイメージで、一眼レフよりはレンジファインダーのついたレンズシャッター機(今で言うコンパクトカメラ)に採用されていた。本格的なAE一眼レフはペンタックスならME、キヤノンならAE−1の時代にならなければ花開かなかった。しかし、絞り優先AE一眼レフのコンセプトはESが作り上げたもので、その歴史的な価値はいささかもあせるのもではないだろう。