ミランダ センソレックスII

私はこのカメラが現役であった頃のことを知らない。「このカメラ」どころか、ミランダというメーカー自体が現役であった頃さえ知らないのだ。ミランダセンソレックスIIは1972年2月の発売である。1972年といえば各メーカーとも開放測光のマニュアル露出カメラを作っていた時代で、一部のメーカーはAE一眼レフを作り始めていた時代である。AE一眼レフですでに登場していたのは、おそらくアサヒペンタックスESとコニカFTAの2機種だったと思われる。キヤノンやミノルタはまだだったし、ニコマートELは同じ年の12月発売である。というわけで開放測光で追針式マニュアル、シャッター速度も1秒から1/1000秒のセンソレックスIIは、当時の水準を行くカメラであったことは間違いなさそうである。ただし、すべてにおいて申し分のない性能を誇っていたかというとそうでもなさそうである。たとえば、確かにセンソレックスIIは開放測光を達成していたが、それは「完璧なシステム」とはいえない代物であった。センソレックスIIは交換レンズの開放絞り値をマニュアルでセットしなければならない。つまり、レンズを交換するたびに、開放絞りをセットしないと正しい露出が得られないのである。じつは、当時の他のメーカーは、「どうやってレンズの開放絞りをカメラのボディに伝えるのか」で四苦八苦していたのだ。Ai化される以前のニッコールの「ガチャガチャ」は開放絞り値をボディに伝えるための儀式であった。スクリューマウントのペンタックスは苦労したあげくきわめてアクロバチックな構造でこの問題をクリアーした。キヤノンに至ってはこの問題を解決するためにマウントをFLからFDに変えてしまったほどなのだ。この「面倒くさいこと」を人間にやらせたおかげで、ミランダは比較的容易に開放測光に移行することが出来たのだ。しかし「なんかなぁ」という感じは否めない。ほかのメーカーにしてみれば「えっ、まじ?それってあり?」という感じだろう。そしてミランダはセンソレックスIIを発売した4年後の1976年に倒産してしまうのである。

ミランダ製のカメラはある時期までは「技術のミランダ」「先進のミランダ」とよばれ、技術的に日本のメーカーを引っ張っていた。ペンタプリズムを日本で初めて採用したフェニックス(1954年)、それを改良して量産したミランダT(1955年)、また、初めからファインダーが交換可能であったのもミランダの特徴だった。当時はファインダーが交換できるのは高級機の証であり、購買意欲をそそる仕様であったらしい。しかし1960年代後半から技術的な遅れが目立ちだし、徐々に他のメーカーに水をあけられ始めた。また、生産能力の低さから国内販売分が確保できず、国内での販売を中止していた期間もあり、日本での人気はあまり高まらなかった。その分海外(特にアメリカ)では一定の人気があったようで、アメリカの中古市場では今でも時折見つけることができる。

さて、私が手に入れたセンソレックスIIだが、アメリカの中古市場で安く購入したものである。デンバーのトレードショーで、本体+標準レンズで$40、28mmが$20と言うリーズナブルなお値段だった。もちろんジャンクではない。この時代のカメラだから総金属製、重量もかなりのものであり。また、表面の仕上げがすごくきれいで精密感が漂っている。こんないいカメラがこんなに安く手にはいるのだがから、中古カメラは本当にやめられない。