キヤノンスナッピィ84
このカメラは旅行で行ったニューヨークのブルックリンカメラで、デッドストック品・箱付き新品の状態で手に入れました。スナッピィは1982年に発売されたコンパクトカメラで、独特な横長のデザインで登場しました。スナッピィ50はオートフォーカスでしたがスナッピィ20の方は固定焦点です。この時期キヤノンのコンパクトカメラはオートボーイシリーズがありましたが、その独特のデザインとコンセプトから、別のシリーズとして発売されたようです。オートボーイの方は今に続くヒットシリーズになりました。スナッピーの方は1985年にスナッピィSと言う固定焦点のカメラが発売されますが、その独特のデザインは失われ、それ以降シリーズ化されることなく国内市場からは消えて行きました。海外では安いキヤノンのカメラとして固定焦点のコンパクトカメラがスナッピィの名で散発的に発売されています。デザインはごく普通のコンパクトカメラになってしまいました。最後のモデルが1997年ですが、性能的には別にどうと言うことはありません。おそらくスーパーマーケットのプリントコーナーで$50くらいの値段で売られていたものと思われます。
私が手に入れたスナッピー84は基本的にはスナッピー20と同等品です。つまり巻き上げ巻き戻しは自動、露出はプログラムAE、レンズは35mmf4.5、ピントは固定焦点と言う仕様です。ピントが固定焦点なのはちょっと残念なスペックです。いまだにオートボーイ2を愛用している私のコンパクトカメラ事情なら、もしオートフォーカスのスナッピー50だったら一気にコンパクトカメラの主力機にのし上がっていたかもしれません。それではなぜ買ったかと言うと(もちろん安かったのですが)、やはりこのデザインと限定生産の記念モデルだったからです。写真をごらんになってわかるとおり1984年のロサンゼルスオリンピック記念モデルです。
キヤノンがロサンゼルスオリンピックの公式カメラに選ばれ、NewF−1で記念モデルを出したのは有名な話ですが、スナッピィに記念モデルがあるとは、実物を見るまで知りませんでした。しかもこの超派手派手デザイン。私は一発で惚れてしまいました。できればこのデザインでNewF−1を作って欲しかったです。しかもネーミングが秀逸ですね。名前に年号を入れるのは最近のソフトウェアのはやりですが、それを1984年の段階で採用していたキヤノンの先進性はやはりただ者ではないと言えるでしょう。
しかし、キヤノンがこの「遊び」をスナッピィ20で試したのは、やはりスナッピィ20に対しある程度のおもちゃ的なものを感じていたからだと思います。このスナッピィ84、17年もたった今ならひとつの記念品としての価値がありますが、おそらくロサンゼルスオリンピックが終わってしまった後はほとんど価値がなく、使うのもはばかられるような感じだったでしょう。このデザインのNewF−1を見てみたいという希望はありますが、数十万のカメラに許される「遊び」ではないでしょうね、やはり。
ところで、スナッピィ20ですが、多分におもちゃ的な要素はありますが、実はそんなに安いカメラではありませんでした。定価ベースで、29,800円もするんです。オートフォーカスのスナッピィ50と比べて5,000円しか違いません。3万円のコンパクトカメラは冗談で買うにはちょっと高すぎますね。そもそも総プラスチック、固定焦点、レンズが単焦点f4.5のカメラにどうして29,800円なんて値段が付いたのでしょう?性能表を見てみると、このカメラ受光素子にCDSではなくSPCを使用しているんです。恐らくEE機能には手を抜いていないんでしょう。1984年当時はまだ、「写るんです」が世に出る前ですから、35mmでそんなに極端に安いカメラはなかったような気がします。ミッキーマウスカメラやコカコーラ缶カメラは110だったように記憶しています。「写るんです」が発売されてブームになって以降、コンパクトカメラはオートフォーカスにしろEE機能にしろ上手にバランス良く 手を抜くようになり、どんどん安くなって行きますから、スナッピィ20は時代の狭間のカメラと言えるかもしれません。
ところでこういうカメラを手にすると、思いは1984年にタイムスリップします。1984年と言えば私にとっては高校を卒業して大学に進んだ年です。北海道から関東へ大移動をした人生の転換期の年でした。まだ、キヤノンA−1は盗難にあう前で、こいつをバッグに入れて青函連絡船に乗った記憶がよみがえってきます。
ロサンゼルスオリンピックはソ連がボイコットしたオリンピックでしたが、私の記憶に鮮やかに残っているのは柔道の山下選手です。準決勝で足を怪我して、片足を引きずりながらの決勝でした。前回のモスクワオリンピックは不参加、やっと金メダルがねらえるオリンピックでは最後の最後で足を負傷。「人間的に立派で努力を怠らない人でも、やはりダメなものがあるのか」と思いながらテレビを見ていました。結果は堂々の一本勝ち。勝った瞬間、一瞬ですが涙顔になった山下選手を忘れることができません。だからオリンピックは止められません。
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