キヤノンT90

 Tシリーズの中で唯一、私の心をとらえて離さなかったのがT90である。新発売されたのは私が大学生の頃だった。ちょうどA−1が盗まれ、EFを中古で買ってしまった直後だったので新規購入はしなかったが新しく登場したT90には大いに興味があり、T90に触るためだけにわざわざ日本橋でやっていたカメラショーに行ったのを覚えている。考えてみれば、わざわざ特定のカメラに触るためにカメラショーに行ったのはあれが最後だった。初めて触ったT90の印象は「驚き」であった。なにしろ、手にしてすぐに使い方がわからないカメラだった。要はそれまで作られたカメラとは一線を画する、革新的なカメラだったのである。単三乾電池4本で秒間4.5コマは衝撃的だったし、ファインダー内のバーグラフは感動だった。しかし、説明を聞いても使い方は完全には理解しきれなかった。

 T90はFDシリーズ最後の一眼レフである。もちろん最後まで販売されていたのはNewF−1だし、OEMのT60は1990年代の発売である。しかし、キヤノンが新規に本気で開発したFDシリーズの一眼レフがT90であることに異論を挟む人はいないと思う。T90はミノルタがα7000を発売したあとに売り出されたカメラであり、かなり難しい状況での発売であったことは想像に難くない。1986年は各メーカーともオートフォーカス一眼レフの投入に躍起になっていた時期であり、このタイミングでマニュアルフォーカスの高級機を出すのは時代に逆行する行為であったはずだ。キヤノンもT80の技術にちょっと細工をすれば、そこそこ使えるオートフォーカス一眼レフカメラを作ることが出来たかもしれない。その技術をT90に投入することも可能であったろう。NewA−1とおぼしきプロトタイプにはT80と同じような電気接点が設けられている。しかし、キヤノンはあえてFDをオートフォーカス化することを考えず、時間はかかっても新しいEFシリーズに進む道を選んだ。これが長い目で見て正解であったことは今日の一眼レフ市場の様子を見れば一目瞭然である。
 α7000以前のオートフォーカス一眼レフはレンズ内モーター、レンズ内電源であった。そこを改良しボディ内電源、ボディ内モーターにしたのがαであった。αが発売された直後は「これこそ理想的なオートフォーカス方式」として、各社ともボディ内電源、ボディ内モーターの一眼レフを作っていった。結局この流れはEOSによって止められ、最近ではそのほかのメーカーもレンズ内モーターを採用するようになってきた。この辺りにキヤノンの先見の目がただものではないということを感じるのである。
 キヤノンにはEOSを作り上げる時間が必要であった。中途半端なオートフォーカスカメラを送り出せば致命傷になる危険性がある。T90に課せられた最大の使命はおそらくEOSのための時間稼ぎであっただろう。EFマウントのレンズを採用したEOSの開発を決意した時点でFDシリーズの運命は決まったようなものである。その状況でFDシリーズの高級一眼レフとして投入されたT90は、レイテ沖海戦に投入された空母瑞鶴のようなものだったのだろう。しかし、T90は強かった。時間稼ぎどころか結果的には一時代を築くまでに至ってしまった。これは、EOSへの円滑な移行を狙っていたキヤノンにとっては予想していなかったことかもしれない。

 TシリーズはAシリーズのあとを受け1980年代のキヤノンの初級から中級を支えたシリーズであった。しかし、「連写一眼」のキャッチフレーズで華々しく登場したAシリーズと比較して、T90が登場するまでのTシリーズには今ひとつインパクトに欠けていた。最初に登場したT50はプログラムAEのみの斬新なアイデアであったが、初心者向けと言うイメージしかなかった。次に登場したT70は3本のプログラムラインを持つシャッター優先AE+プログラムAEであったが、A−1やAE−1+Pと比較して圧倒的に優位というわけではなかった。ワインダー内蔵は良かったが巻き上げ速度が遅く、A−1を持っていた私にとっては買い換えの購買意欲をそそるものではなかった。T80に至っては登場の時期がα7000の直後だったため、すっかりその陰に隠れてしまった。実際、T90が登場するまではA−1とAE−1+PはTシリーズと平行して販売され続けていたのである。
 T90はTシリーズがAシリーズと交代するための最後の詰めとしての役割も持っていた。T90はA−1の後継機であり、Tシリーズのフラッグシップとしての役割があったはずだ。確かにT90は間違いなくTシリーズのフラッグシップである。しかし、T90は他のTシリーズと比較しても、ちょっと特異な存在である。まず、デザインが全く違う。T50、T70、T80は好き嫌いは別にして同じシリーズとしての共通のテイストが存在する。Aシリーズだって多少の差はあるが、統一感のあるシリーズに仕上がっている。しかし、T90はTシリーズの中に収まっていない。さらに、T90の操作はT70にもT80にも似ていない。液晶パネルはT70、T80譲りであるが、ダイアル操作はどちらかと言えばAシリーズの系統である。
 そして、言わずもがななことではあるが、T90の操作、デザインはEOS620、650によく似ている。T90A−1の後継機であり、Tシリーズのフラッグシップであり、EOSの母胎となったカメラなのである。

 1980年代はオートフォーカスの登場に伴って一眼レフカメラが大きく変わった10年だった。1960年代のニコンF、1970年代のキヤノンF−1、ニコンF2は10年間フラッグシップの地位を守りとおした。しかし、キヤノンNewF−1、ニコンF3は長期間に渡って販売はされ続けたが、それぞれ新しいフラッグシップであるEOS−1、ニコンF4が1980年代後半に登場している。T90はその移り変わりの激しい時代に橋渡しの役割も果たしていたのである。
 FDレンズは1970年代初頭の技術で作られたシステムであった。キヤノンA−1が登場し、FDレンズはそのもてる能力を遺憾なく発揮できるようになった。しかしT90が開発されたとき、おそらくFDレンズの仕様が足かせになったのではないかと思う。まさにT90はFDレンズの仕様にとどめを刺したカメラなのである。

 T90が登場したときはその斬新さに驚いたが、今となっては本当にシンプルで使いやすいカメラである。新しいカメラが取扱説明書なしでは使えないのはごく当たり前のことになった。FDレンズに焦点距離の情報があれば、7種類のプログラムも自動選択になったであろうが、この辺りがFDレンズの限界だったのだろう。
 私にとってT90の魅力はストロボのTTL調光と測光方式の切り替えである。FDレンズでこれが出来るのはT90だけである。NewF−1はスクリーンを交換すれば測光分布を変えることが出来るが、T90は一発である。スポットや部分測光が良いときにすぐ変えられるのは本当に便利である。T90はまさに究極のマニュアルフォーカスカメラと言っていいだろう。

最近中古市場におけるT90の値段が下落ぎみらしい。製造終了から10年が経過し、メーカーでの修理が難しくなったのが一つの原因らしい。これは大変残念なことであるが、逆に言えばT90が比較的手頃な値段で手に入れることが出来るようになったのは良いことである。私のT90も程度はそこそこであるが、3年前では考えられないような値段で手に入れることが出来た。T90も普通の中古カメラとしての道を歩き始めたのである。