キヤノンF−1 US.NAVY
このカメラは2000年春のデンバーカメラトレードショーで買った。日本にいたときから、キヤノンF−1にNAVYモデルがあることは知っていた。中古カメラ屋さんで一度だけ見たことがある。そのほかミリタリーショップで売っているという情報を雑誌(たぶんモノマガジン)で見たことがあったが、どちらも程度の割にプレミアが付いていたので、購入の対象にすらしなかった。「へー、そういうのがあるんだ」と思っただけだった。
そもそも私はそう言うのが苦手である。「そう言うの」と言うのは客観的な品質なり、性能以上の値段や価値(プレミア)が付いてしまっているもののことである。平たく言えばブランド品である。多分軍用カメラと言うのも一つのブランドなんだろうと思う。それでも、性能が明らかに優れているブランド品なら理解もできるし、欲しいとも思う。そこら辺りで売っているキャンプ用十徳ナイフとビクトリノクスのスイスアーミーナイフを一緒くたにするようなことはいくら私でもしない。ただ、本当にそんな価値があるの?と言いたくなるようなものに、お金をかけたくないという気持ちはいつも強く持っている。
日本は不景気からなかなか脱出できないが、それでもブランド品のお店だけは盛況という話を日本発のインターネット経由のニュースで見た。何がいいんだろうか。残念ながら私には服や鞄のブランドというのもがまったく理解できない。性能が圧倒的に違うのなら納得も行くが、たかがシャツくらいでそんな性能?が違うとも思えない。安くて、質も十分で、デザイン的にも優れている服や鞄はいくらでもころがっている。どうして似たような鞄なのに、ブランドの名前が入るだけで値段が数倍に跳ね上がるのだろう?正直に言って桁が一つ二つ違うような気がすることもある。
私は、いいものをさりげなく持つ人はかっこいいと思うが、ただブランドの名前しか胸に書かれていないようなシャツや、ブランド名がでかでかと書かれた鞄には全然センスを感じない。まあ、もともと私はファッションセンスのない人なので、人のことは言えた義理ではないのだが。
家内の話によると、アメリカで売っているいわゆるブランド品は、日本で売られているものと比べてブランド名の露出度が低いらしい。一目でブランド名がわかるようなものはあまり好まれないようだ。逆に言うと日本で好まれるのはとにかくブランドの名前が表に出ているものなんだそうだ。本当だろうか?
ブランド品でも安ければ買う。別に圧倒的に安くなくてもかまわない。同じ程度の非ブランド品と比べて質的に納得できて妥当な値段なら十分購入対象になる。質にお金を払うのはやぶさかではないのだが、名前にお金を払うのはまっぴらごめんである。つまりこの理論で行くとニコンやキヤノンには手が届いてもライカは永久に買えないことになる。いやいやでもそれは違うかもしれない。ただ私が単にまだライカの品質を知らないだけかもしれない。私の理論で行けば品質が10倍なら値段が10倍してもかまわないことになる。問題はどうやって品質が10倍かを見極めるだが、はたしてライカはキヤノンの10倍の品質があるのだろうか?
で、このキヤノンF−1だが、US.NAVYのブランド名が入っているが、もちろん品質は普通のF−1と同じである。私の理屈で行けば、普通のF−1と同じ値段か若干高めくらいなら購入条件クリアと言うことになる。値札チェック。$225。購入即決。日本円にして25,000円、悩む必要はまったくない。この値段はこの時点で私が見てきたF−1の中でもっとも安いものだった。F−1ならかなり使い込まれていてもそこそこの値段が付いていることが多い。$225は驚きである。このF−1もかなり使用感はあるが、この値段なら全然文句はない。と言うか文句を言ったら罰が当たるだろう。
しかしその次のデンバーカメラトレードショーで私は$165の美品F−1(もっとも古いタイプ)を手に入れてしまう。もちろん軍用F−1ではないが。この値段で70年代のフラッグシップを手に入れただから、安い物好きの私も大満足だった。
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