はじめに・軍用カメラ(一般論)

軍用カメラというコレクション分野がある。たとえばライカなぞは歴史的にも多くの軍用カメラを作ってきたメーカーで、それこそ軍用ライカで本ができるくらいである。ライカに限らず多くの中古カメラが軍用カメラとして取り扱われてきた。しかも軍用のカメラには一定の人気があり、一般的に高価である。なぜ軍用カメラは人気があるのだろうか。

1.珍しい
 軍用カメラは軍という特定のユーザーが使用したカメラあり、必然的にそれほど多く流通しているわけではない。希少価値があると言ってもいいかもしれない。もちろん特定のユーザーが使用しただけなら、別に価値があるわけではない。たとえば角のたばこ屋のおばさんが使ったカメラというのは世界に1台で、数的にはものすごく希少価値が高いわけだが、、残念ながらたばこ屋のおばさん自身の知名度がきわめて低いため本当の希少価値にはなりえない。軍用の場合は軍隊がユーザーだから、これは好き嫌いに関わらず知名度は高い。さらに軍隊はその組織の目的から独特のイメージがある。イメージについて次で述べるが、そのイメージゆえに軍が使ったカメラに希少価値がでてくるのである。

2.高性能というイメージ
 戦時の軍隊が使用したカメラの中には民生用と比較して非常に高性能なものがある。どこの国でも戦時になれば資源は軍事力に優先的に配分される。そして戦時は非常時ということで、コストを度返ししてでも高性能のモノを作ることがあり得る。そうした中で軍が特別に発注したカメラは、民生用の要求よりさらに高い性能を求められている場合も実際にあった。
 しかしこれは軍に限った話ではなく、、たとえばNASAが宇宙開発計画の中で採用したカメラというのは当然高性能であるというイメージが持たれる。

3.高耐久性のイメージ
 軍隊というのは戦闘集団であるから、その装備品はデザインや見た目の美しさより機能性や耐久性を重視せざるを得ない。そもそも兵器というのは、氷点下30度の氷の世界から炎天下の砂漠のうえまで、あるいは体重が何倍にもなる高Gの戦闘機の中でも決められた性能を発揮することを求められるので、耐久性に最大限の注意を払う。ミリタリースペックというのは民生用の部品より厳しい条件が課せられている。戦場なり演習場という非日常的な場所で活躍できるカメラには、雨に打たれても、泥をかぶっても動くカメラである(程度はあるでしょうが)、と言う印象を持たれるし、戦場を駆けめぐったカメラにはそれなりの高い信頼性が与えられる。また、かりに民生品と同じカメラであっても軍がそのカメラを選んだと言う事実は、そのカメラ自体の高性能、高耐久性を物語っているような気がする。

 さて、今まであげたイメージは本当に軍用カメラに当てはまるであろうか?
 1.の「希少価値」については多分当てはまるだろうと思う。有名なライカKE−7Aは世界で505台しか生産されなかったから、これは間違いなく貴重なカメラである。とかく、軍用カメラの値が上がるのはこの希少価値が大きく影響している。ただ、最近の傾向として軍隊も民生品と同じカメラを使うようになってきている。たかだか数百台のために新たなカメラを作らせるほどの財政的な余裕はどこの国にもない。さらに民生用のカメラの質も上がってきているので、あえて特注品を作る必要はないのかもしれない。民生品と同じカメラにあとから軍の刻印を打っただけのカメラに希少価値を見いだすかどうかは個人の価値観の問題になるだろうう。

 2.の「高性能」は半分正解だろう。確かにそういうカメラもあるらしい。特に第2次世界大戦のような大規模の戦争になれば、民生品の品質は世界的に落ちてくるから、相対的に軍用品の質は高くなる。また、特殊用途のために設計されたカメラには、当然高い品質が保証されるだろう。ただ、いわゆる35mmカメラについては、近年民生品をそのまま採用することが多くなっていることを考えれば、性能そのものは民生品と変わらないだろう。「軍が採用しているのだから性能がいい」と言う逆説も私はあまり支持しない。

 3.の「耐久性」については、私はほとんど賛成できない。そもそも軍で採用されたカメラがす米空軍アクロバットチームサンダーバーズべて過酷な陸軍の戦場で活躍するわけでも、航空母艦に乗るわけでも、戦闘機に搭載されるわけでもない。軍用カメラは当然軍人が扱うわけで、戦場では軍人は戦闘をすることになっている。戦時国際法では戦時において戦闘をするのは軍人だけである。また民間人に対する意図的な攻撃も禁止されている。ベトナム戦争のフィルムを見ると戦闘をしている横で畑を耕しているおじさんを見かけるが、国際法上これは十分可能なことなのである。
 つまり、戦場にあれば軍人は相手にねらわれる立場にあり、自分を守るために戦わなければならないのである。写真を撮っている暇はない。ロバート・キャパも沢田教も民間人でジャーナリストとして戦場に行き、戦争の写真を撮った。彼らの使ったカメラこそ本当に過酷な戦場を駆けめぐったカメラと言えるのだろう。私は、軍隊に採用されたカメラが、必ずしも前線で命がけの写真を撮るために使われるとは思えない。むしろ限りなく民生用に近い用途で使われているのではないかと思う。軍の中にも写真スタジオはあり、カメラマンがいて行事やパレードの写真を撮っている。多くの軍用カメラはこのような限りなく民生に近い用途に使われているのではないかと思う。もちろん本当に耐久性が必要な場面で使われているカメラもあるだろう。でもそれは、ごく少数であり一般の中古市場に出回ることはあまりないのではないかと思う。

 それでも私は軍用のカメラが大好きだ。それが仮に民生用と同じカメラであっても、そこに言葉では表現できないく魅力を感じる。それは私が軍用の刻印になんらかの価値を見いだしているからだろうと思う。もちろんその刻印に大枚をつぎ込むつもりはないが、US.NAVYの刻印があればちょっとだけ価値が高いような気がする。






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