ANNY-10

 私の小学校は4年生になると必修クラブ活動なるものが始まった。昭和50年当時の小学校はどこでもそんなものだったと思う。お上から「自ら学ぶ力」などと言われることもなく「ゆとりの時間」などというヌルイものもなかった。でも、たしかわたしの次の年から「ゆとりの時間」ができたような気がするぞ。そういえば高校時代も「倫社」と「政経」をやったのは我々が最後だったような気がする。現役で大学に落ちたら、やったこともない「現代社会」を一から勉強しなければならないということで高3時代はかなり焦った記憶がある。しかし、翌年は子供の数が異常に少ない年だったので一浪した友人たちはほとんど無事合格できたのだった。
 小学4年生のころ私はカメラが欲しくて欲しくて仕方がなかった。学研の科学の付録でカメラの面白さを知ってしまいどうにも止まらなくなっていた。しかし何の理由もなく予算要求したって通るはずがない。というわけで、私は必修クラブとして「写真クラブ」を選択したのだ。「学校で使うから」というのは子供にとってこれ以上の理由はない。我が家は「みんなが持っているから」という理由はまったく考慮されなかったのだが、「学校で使うから」というのは若干なりとも力を発揮したようだった。今の時代の子供たちならここで「パンパカパーン」と一眼レフが登場するところなのかもしれないが、30年前はそんなことはまったくなかった。その時、親に買ってもらったカメラがこのANNY−10である。一眼レフなんて思いもしなかった。ともかく自分のカメラが手に入るだけで十分うれしかった。このカメラは実はカメラ屋さんではなく、札幌狸小路4丁目の中川ライター店で売っていた。この中川ライター店はただのライター屋ではなく、いろいろとアヤシイ物を売っていた。昔の少年漫画雑誌の裏表紙の広告に出ているようなモノを売っていたのだ。別に麻薬とか密造酒を売っていたわけではないのだが、それは子供心にもなんか「怪しいモノ」なのであった。ちなみのこの中川ライター店は、現在も同じ場所で同じような営業をしている。しかしさすがにカメラは売っていなかった。

 このANNY−10、値段は2800円だった。同じようなカメラが何台が置いてあったがまあ中どころだったと思う。ANNY−10で私の心を捉えたのがストロボの接点であった。もちろんストロボなんてもっていないが、いつの日かこのカメラで夜の撮影もできるかもしれない。と夢を膨らませたのだ。フィルムは35mmではなく、いわゆるボルタ判である。ボルタ判というのは小型のブローニー判フィルムのようなものでパトローネに入っていないロールフィルムである。裏に遮光紙があり、裏にある赤い窓を見ながら巻き上げる。さすがに21世紀の現在、新品のボルタ判フィルムは手に入らないだろう。昔の古い規格のフィルムが旧東欧諸国で作られていた話を聞いたことがあるが、さすがにボルタ判は作られていないだろう。ボルタ判はフィルムの大きさ自体が35mmとさほど変わらないことから中判カメラのような高画質は期待できない。期待できるのはカメラの構造を簡単にして安価なカメラを作れることくらいである。ボルタ判というのはほとんどがおもちゃに近いカメラだった。さらに昔はどうだったかわからないが、少なくとも私がANNY−10を手に入れたころのボルタ判はおもちゃカメラ専用フィルムであったと記憶している。その証拠にボルタ判のフィルムはデパートのおもちゃ売り場でも売られていた。

 ANNY−10もきわめて構造の簡単なおもちゃカメラである。レンズは「HOEI LENS 1:8 F=5cm」の単玉で、絞りも8と11だけ。羽絞りではなくf11相当の穴があいた板を出し入れする方式である。シャッター速度はI(インスタント)とB(バルブ)だけ。晴れた日はIのf11、曇りの日はIのf8、雨が降れば撮らない、というきわめて潔いカメラなのだ。巻き戻しノブらしきものがついているが、ボルタ判のカメラに巻き戻しノブは必要ない、ただの飾りである。このあたりはあまり潔くない。ファインダーはフレームもなにもなく、「視界を遮るもの」はなにもない。ついでにファインダー自体もほとんど素通しのガラスが入っているだけである。ピントはもちろん固定焦点。距離計の窓に見えるのはシャッターロックの表示窓。シャッターロックをかけるとこの窓に赤いインジケーターが出るだけである。しかし、このデザインは明らかに連動距離計と見間違えることを期待したものであろう。どうも、この時代のこのクラスのカメラはこういう姑息な手を多用していたようで、一見セレン光電池のような蜂の巣状の半透明板を「意味もなく」デザインで使用しているカメラもあった。しかし、ストロボの接点は「なんちゃって」ではなく、一応きちんと作動する。このあたりは大したものである。おそらくこの「ストロボ対応」がANNY−10の売りだったのだろう。

 このカメラを手に入れたときは本当にうれしかった。自分だけのカメラを初めて手に入れたあのときと同じ気持ちをもう一度味わうことは残念ながらもうできないだろう。このカメラは当初の目的どおり写真クラブでも使った。おかげで、生まれて初めての暗室作業もボルタ判のフィルムとなった。35mm用のベルトが使えたところからしてもフィルムのサイズは35mmと同じである。写り具合は今とのなっては記憶にない。こいつで撮った写真も残念ながら手元には残っていない。

 2年近く使ったANNY−10であるが、PEN−EEをもらってからはすっかり出番がなくなり、いつのまにか私の手から消えていた。壊れてしまったような記憶もあるのだがどうもはっきりしない。約30年ぶりにANNY−10に触ってみて知ったのだが、こいつはおもちゃカメラなのだが、外側にはプラスチックをほとんど使用していない。ブリキを加工している部品が非常に多いのに驚いた。今のおもちゃカメラはプラスチックの塊、いやおもちゃじゃなくても今カメラはプラスチックの塊である。そう考えると、昔はおもちゃでもまじめに作っていたようである。