110サイズの将来

 APSの将来ではない、110サイズの将来である。そんなことは今更言わなくても分かっている話であるが、最近の私の110経験も含めてちょっと考えてみたい。

 110サイズと言うフィルムがある。もはや風前の灯火で、国内のカメラメーカーから110サイズのカメラが新製品が出ることはない。今、このフィルムを手に入れようと思ったら、新宿あたりの大きなカメラ屋さんの地下に行って、フィルム売場の一番端っこの棚を探さなければ手に入らない。私は国内でこのフィルムを使ったことはないが、ラボのサービス態勢もボロボロで、フィルムを出してから写真が手にはいるまでかなりのタイムラグが発生するようになっているらしい。

 しかし、その110フィルムだが、私が中高生だった1970年代後半から1980年代前半にかけてはかなり普及していた。はっきり言って今のAPSの比ではない。修学旅行に女の子が持ってくるカメラは110が主流だった。そしてどこぞの寂れた観光地に行っても、110フィルムが手に入らなくて困ると言うことは全くなかった。場合によっては35mmより手に入りやすかったかもしれない。それほど普及していたのだ。しかしそれがわずか数年のうちに、市場から姿を消してしまった。

 実は私はどのようにして110フィルムが消えていったのか良く知らない。雑文「合コンの話」で私の大学について少し説明した。世にも珍しい男子大学である。しかも土日しか外に出られない。そして大学の周りには柵があるという本当に変わった大学だった。誤解のないように申し上げるが、大学という名の更正施設とか収容所の類ではない。れっきとした大学である。いや「れっきとした」は言い過ぎかもしれないな。しかし一応大学である。そしてこの大学ではテレビを見ることが出来なかった。テレビを保有すること自体が禁止されていたのである。昭和30年代前半ではない。昭和50年代から60年代の話である。インターネットがない時代にテレビが見られなければ致命的である。くどいようだが更正施設ではない。私は情報の孤島で4年間生活した。
 大学入学前には確かに110カメラは世の中にあふれていた。しかし、卒業して娑婆に社会に出てみると、110フィルムはほぼ消滅していたのである。この4年間にいったい何があったのだろう。α-7000ショックは2年生の時だった。あれの影響だろうか。しかし、α-7000ショックが110フィルムを直撃するとは思えない。これは私のとっていまだに大きな謎である。

 110フィルムが正式名称だが、日本国内ではポケットフィルム、ポケットカメラで通っていた。この110サイズという規格は例によってコダックによって策定されたものである。コダックは1963年にインスタマチック(126サイズ)という、カセットタイプのフィルム規格を作って、その普及につとめていた。私が生まれた当時の話なので良くは知らないが、一時的に普及しかけたが結局長続きしなかったようだ。今でも、時々インスタマチックのカメラを見かけるので、全くダメだったわけではなさそうだが1970年代までは生き残れなかった。インスタマチックの利点はフィルム装填の容易さにある。カセットタイプなのでポンと入れればOKである。フィルムのサイズは35mmとほとんど変わらず、フォーマットは26mm×26mmの正方フォーマットであった。なぜ、この規格が普及せずに終わったのかもよくわからないが、結局マーケットは35mm判と比較して大規模な買い換え需要を起こすほどのメリットをインスタマチックに感じなかったのではないかと思う。コダックはフィルムメーカーだから、フィルムの消費に直結するアイデアが好きである。もし、35mmフィルムの装填の煩雑さがフィルム消費の障害になっているのなら、インスタマチックは浸透したと思う。しかし、バルナックライカのフィルム装填作法ならともかく、普通の35mmカメラのフィルム装填はそれほど難しいものでもない。このあたりに、市場のニーズの読み間違いがあったような気がする。
 そこでインスタマチックの失敗を糧に1972年に再登場したのがポケットインスタマチック、すなわち110サイズである。110サイズのメリットは小さいことに尽きる。画面のサイズは13mm×17mmで35mmの1/4程度である。このサイズのフィルムを使えば当然小さなカメラが作れる。当時は巨大な一眼レフとコンパクトとは言えないレンズシャッター機の時代であり、「小さいカメラ」のニーズは高かった。最初のカメラはコダックから発売されたが、すぐ日本のメーカーも後を追い、ものすごい勢いで普及していった。初めはお手軽簡単カメラの代名詞であったが、キヤノンは連動距離計の付いた高級機を、ミノルタとペンタックスは一眼レフを発売し、110カメラも一定の地位を築くに至った。これが1980年代前半までの話である。
 110サイズは画面の大きさが小さいので画質の面では不利である。しかし登場した当時ならそのコンパクトさは画質の悪さを上回る魅力であった。1970年代はポケットに入る35mmサイズのカメラはほとんどなかったのである。
 110カメラにとって逆風になったのは、コンパクトな35mmカメラの普及であろうと思う。オリンパスXAに始まるバリア式小型のコンパクトカメラは110カメラのサイズ的なメリットを大きく減少させた。電動式の沈胴レンズが当たり前になるとさらに旗色は悪くなってきた。110の画質は同じ条件なら35mmには絶対かなわない。さらに悪かったのは110カメラの大半が固定焦点、露出も固定か簡易AEというカメラだったことである。どんなに画面サイズが小さくてもピンぼけはピンぼけである。露出不足を無理に焼けばカラーバランスは崩れ画質が悪化しする。そして、多くのユーザーはそれをカメラのせいではなく、110と言う規格のせいにした。「ポケットカメラなんて所詮こんなもの」と言うあきらめが蔓延したのだと思う。

 しかし、最終的には何がきっかけになったのだろう。5年ほどかけて徐々に市場から姿を消したのだろうか。まあ、メーカーが作らなくなれば市場からは消えて行く。あるいはレンズ付きフィルムの影響なのかもしれない。レンズ付きフィルムならポケットカメラより安いし、画質も問題にならない。案外こいつが110の息の根を止めたのかもしれない。

 私は今まで110カメラやフィルムにはほとんど興味を持っていなかった。しかし、デンバーカメラショーのせいで、ペンタックスauto110とauto110superを手に入れてしまい、ちょっと興味を持っている。auto110シリーズはなかなかおもしろいカメラだ。見た目に可愛いし、レンズ交換が出来るのも洒落ている。これはこれで良くできたカメラであり、いまだに熱烈な愛好者を抱えているのも理解できる。auto110はピントもきちんと合わせられるし、露出もプログラムAEである。このカメラを使ってきちんと撮ってきちんとプリントすればそこそこの写真が仕上がる。このカメラ自体には何の問題もないのだ。ただ、110と言う規格の衰退の流れに逆らうことが出来なかったのだ。

 さて、それでは110フィルムが今後どうなるかという話であるが、もちろん再び脚光を浴びる可能性はゼロに近い。一時はモノクロやリバーサルまで一般に販売されていたのだが、今はごく少数のネガカラーしか手に入らない。このネガカラーもいつ生産終了になってもおかしくない状態である。
 アメリカにはある程度110カメラのニーズが残っているし、新品のカメラも細々と売られており、日本よりはやや状況がましである。しかしそのアメリカでも110の将来はあまり明るくなさそうだ。実は先日、いつも行っているWALMARTで、110フィルムの大安売りが行われていた。3本で$1の破格値だった。と言うことはWALMARTもこれを最後に110フィルムの取り扱いをやめると言うことである。実際、今現在私の家のそばのWALMARTでは110フィルムは売られていない。

 本当に110はもうダメなのだろうか?せっかくだからダメ元で希望的観測をしてみたい。35mmより小さいサイズのフィルムはほとんど駆逐されてしまった。しかし、もっとも小さいミノックスサイズだけは残っている。なぜ、ミノックスは良くて110はダメなのだろう。確かにミノックスはものすごく小さい。110は小ささではミノックスにかなわない。しかし現在の技術を総動員すれば、カートリッジプラスアルファの大きさで110カメラが作れそうな気がする。実際、おもちゃカメラの分野であるが、110カートリッジにくっつける形のカメラが販売されている。ミノックスは機構としてはおもしろいが、あれで本当に写真を撮るかというとこれはいささか疑問である。いつも持ち運べるのは良いが、スナップや記念撮影に使うものではない。DPEも面倒くさい。しかし、110ならミノックスよりは取り回しがよいだろう。元々かなり普及したフォーマットなのでDPEも何とかなるかもしれない。
 フィルムの質は上がっている。APSなんて規格を思いつくくらい上がっているのだ。ちゃんとしたカメラを作って、きちんとプリントすればサービスサイズくらいの写真なら十分な画質を得られるような気がする。

 なんとも現実味の薄い話だ。どこのメーカーも110に投入する資源があれば、間違いなくAPSに投入するだろう。APSはまだ規格としては死んでいない。フィルムの供給もラボの態勢も110とは比較にならないくらい良い。しかし私はAPSのカメラのは萌えないのだ。APSと言う規格はなんとなく中途半端な気がする。画面サイズも110ほど小さくはない代わりに35mmほど大きくはない。結局現代版インスタマチック(126)としての存在価値しかない。確かにAPSは35mmよりは小さいカメラを作ることが出来るのだろうが、35mmだって贅肉を削ればAPS並のカメラを作ることが出来る。フィルム装填にしても、フォルムの途中入れ替えにしても35mmの牙城を崩すほどの魅力ではない。しかし110なら本気で作れば35mmよりはるかに小さなカメラを作ることが出来るだろう、auto110のように。

 もし110が復活するとすれば(ないとは思うが)、きちんとしたカメラを作らなければならないだろう。ぜひともフジかペンタックスに110復活ののろしを上げて欲しい。ペンタックスはなんと言ってもauto110を作ったメーカーであり、このコンセプトは今でも十分通用すると思う。フジが作ればフィルムの供給の心配はなくなるだろうし、ラボの方も安心である。X−panだってフジが作らなければ実現しにくいカメラだ。コダックという選択肢もあるが、ここには期待しない。あの会社にはたぶんいいカメラは作れないだろう。もちろんコニカでも良いが、すでにコニカは110フィルムを供給していないので除外した。

 ひとつのフィルムの規格がなくなるというのは悲しいことである。そのフィルムを使っているカメラすべてに死刑が宣告されるようなものである。ロールフィルムではないカセットフィルムの場合は、ますますつぶしがきかない。今となってはフジとコダックの両者が少しでも長く110フィルムの製造を続けてくれることを祈るばかりである。






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