キヤノンA−1シリアル中間時点での考察

みなさまのご協力のおかげでA−1のシリアル番号の情報がそろいつつあります。1月1日の時点で50台以上の情報が寄せられました。本当にありがとうございます。もう少し情報を集めたいと思っていますが、中間時点での総括を行いたいと思います。

製造年 製造月 シリアル番号 製造工場 備考
1978 3 10004* 発売前の生産です
1978 7 144***
1978 6 161***
不明 6 161***
1978 8 170***
1978 9 178***
1978 7 207*** 製造月が前後しています
1978 12 303***
1979 2 324***
1979 2 339***
1979 3 357***
1979 4 421***
1979 5 451***
1979 507***
1979 11 654*** F
1980 2 754***
1980 5 897***
1980 960***
なし 980***
1980 9 1050*** R
1980 11 1152*** F
1980 11 1155*** F
1980 12 1212*** F
1981 1 1247***
1981 3 1267*** 製造月が前後しています
1981 2 1271***
1981 2 1281***
1981 1299***
1981 8 1529*** F
1981 7 1534*** F
不明 不明 1611***
1982 2 1727***
1982 1733***
1982 3 1797*** F
1982 1869***
1982 7 1883*** F
1982 7 1886***
1982 1901***
1983 2 1971*** 製造月が前後しています
1983 11 2169***
1983 1 2179***
1982 9 2188*** FC 製造月が前後しています
1983 1 2193***
1983 6 2275***
1984 6 2279***
1984 10 2322***
1984 11 2340***
1984 12 2346***
1984 12 2347***
1985 3 2365***
1983 11or 1 2430*** 番号が前後しています
1983 2434*** 番号が前後しています
1983 6 2434*** 番号が前後しています
1983 5 2438*** Y 番号が前後しています


1.総生産数
 シリアル番号が抜けなく番号順に並んでいると仮定すると、今のところ1985年3月製造の2365***がもっとも新しいA−1と言うことになります。ですから、おおむねの総生産数は約240万台程度ではないかと予想されます。AE−1が約450万台と言う話ですので、妥当な数字でしょう。
 A−1は1978年4月の発売です。おそらく1978年当初から生産されていたでしょうから、1985年3月までで7年と3ヶ月です。この間に240万台生産されたとすると、月間平均は約27600台になります。もちろん最後の数年間は生産数は落ちているのですが、この月間平均も妥当な数字だと思います。

2.年別生産数
 一般に耐久消費財は、生産開始ととに生産数がのびて行き、ピークを迎えたあと、後継機に生産が移って徐々に少なくなってゆく、というカーブを描く物と思われます。
1978年
 1978年は12月の段階で30万番台ですので、おそらく30万台程度生産された物と思われます。月産25000台というところです。
1979年
 1979年は31万番くらいから始まって、11月で65万番ですから月産30000台くらいでしょう。年間では37万台くらいではないかと予想されます。
1980年
 1980年は70万番くらいから始まって12月で121万番ですから年間51万台、月産で42500台くらいになります。おそらくA−1のピークが1980年でしょう。
1981年
 1981年以降はシリアルと年号にばらつきが多くなります。一応1月が124万番、1982年の2月が172万番ですから、年間で大体41万台〜42万台くらいでしょうか。月産が35000台ですから、ピークは過ぎてきます。この年、AE−1Pが発売されました。AE−1PとA−1は共通の部品が多いと言われています。パトローネ室も同じ部品だとすると、年号にばらつきがあるのも何となく説明がつくかもしれません。
1982年
 1982年は下半期のデータが無くわかりにくいのですが2月で172万番、1983年の2月が197万番ですので、25万台くらいだろうと予想できます。月産20000台くらいです。
1983年
 1983年は謎の年です。2月の段階で197万番なのですが、途中で240万番台に飛びます。そして11月には216万番に戻ります。2月と11月のデータから推測すると月産は19000台くらい、年間では約23万台と予想できます。ただし、1983年1月に217万番があったり、1983年の6月に227万番があったりして、年号とシリアルの整合が今ひとつとれていません。
1984年
 1984年も前半のデータがありません。もしかすると1983年1月のデータが1984年かもしれません。後半のデータから推測すると月産12000台、年間で14万台になります。1983年1月のデータ219万番に14万を足しても、おおむね妥当な数字になります。
1985年
 1985年は3月のデータしかありません。1984年の12月のデータから推測して月産5000台くらいではないかと思われます。まさに末期と言えるでしょう。

3.1983年のシリアルについて
 1983年に作られたA−1はシリアルが突然240万台に飛んでいます。これはどういう理由なのか全くわかりません。ただ、製造時期とシリアルをつきあわせると一定の規則があることがわかります。つまり197****番まではきれいに並んでいるのですが、200****が1台もなく、本来200****が製造されるべき時期に240****が現れているのです。そして、210****になってまたもとのシリアルに戻っています。ひょっとして200****の代わりに240****を使ったのではないでしょうか?ただ、240万台もなぜか243****しか見つかっていません。
 もちろんこの仮定が正しかったとしても理由は不明ですし、20*****番が発見されれば、「やはり違った」と言うことになってしまいます。

 単純に見えたA−1のシリアル番号ですが、なかなか奥が深そうです。もっと情報が必要ですね。

 今後ともご協力をお願いいたします。
 

 




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