舶来カメラ

私の手元にある、いわゆる舶来カメラの一部です。 私は日本にいた1999年までは舶来カメラにはほとんど興味がありませんでした。舶来カメラ全般に「高い」と言う印象を持っていました。「安く、節操なく」がポリシーの私にとって「高い」カメラはそれだけで十分敬遠の対象になってしまいます。つらつら考えてみるとキヤノン以外のカメラでボディ単体で3万円以上払った中古カメラはないような気がします。
 日本で舶来カメラを専門に扱っている店というのは、何となく敷居が高いような気がしていました。私は銀座よりは新宿・中野派でした。大体銀座のカメラ屋さんはスーツを着ていますが、新宿はそうでもありませんね。もちろん例外はありますが。店員さんの対応も、新宿は「お客さん、買ってくださいよぉ」と言う感じ、銀座は「欲しければ売ってやろう」と言う感じ。完全に先入観ができてます。
 今にして思えば舶来カメラの知識がなかったから足が向かなかっただけかもしれません。大体私はいまもってライカの各型の区別が正確には付きません。もちろんバルナックとM型の区別は付きます。しかし、話がM型内での識別となるとちょっと苦しくなります。M5はわかります。全然違いますから。M1はご丁寧に正面に「M1」と書いてありますからこれも大丈夫でしょう。ところがこれ以外は途端に自信が無くなります。「巻き戻しレバーが斜めに付いてるのがM4ですよねぇ」とか「ブライトフレームが...」と言いはじめて、結局シリアルを見て「M4だったんだぁ」と言うことになってしまいます。これがバルナックになるともうダメです。ファインダーがないのがI、スローシャッターがないのがII、全部あるのがIII、あとはわかりません。派生型に至っては完全にお手上げです。
 こんな知識でうっかり銀座のカメラ屋さんに入って、ショーウィンドウを覗いているときにスーツを着た店員が近づいてきたら大変です。「ライカをお探しですか?」なんて聞かれたらもうパニックです。別に悪いことはしていないのに「すみません」といって、逃げてくるでしょう。と言うか、逃げてきたことがあります。
 赤瀬川源平氏の「ライカ同盟」の中に、初めてライカを買おうとした赤瀬川氏が、日暮里のライカ屋さんにケチョンケチョンにされる場面がありますが、あれはライカを知らない者にとっては恐怖です。別にライカの各型の区別が付かなくても平穏無事に市民生活を送ることはできるのですが、ライカのソサイエティ内から見るといわゆる非国民に見えるのでしょうね。そういえば田中長徳氏は好んで「ライカ人類」とか「ライカ共和国」と言う言葉を使っておられます。ライカ共和国に行けば私は間違いなく非国民になってしまって、特高に捕まってしまうのでしょう。ライカを持っていないくせにゾルキーI(から作られたパチモンライカII)を持っていますし。

これも舶来です ソサイエティといえば、ホームページ同士のソサイエティと言うのもなかなか興味深いものがあります。例えば、このページを見てくださるみなさんにとっては、キヤノンやらペンタックスの話で盛り上がるのは別に珍しくも何ともないですし、私もそういう方が読むことを前提にしてテキストを作っているわけですが、カメラに全然興味のない人にとっては、このホームページでの会話はたぶん理解不能です。「カメラ何て1台あれば十分じゃないの?」と言う至極まっとうな意見を出された場合は誰も反論できません。
 ところがネットサーフィンをしていると、うっかり自分の理解不能なホームページに迷い込んでしまうことがままあります。そしてそういうサイトの掲示板を見ると、一見すごくレアでディープに見える事柄に対する同好の士の多いことにまた驚かされます。そのソサイエティの中ではそのレアでディープなことが当たり前なのです。
 私の友人にライターをやっている人がいて、彼女のホームページのリンクからうっかりメルヘン小説のソサイエティに足を踏み入れてしまったことがあります。メルヘン小説というのは大人が読む小説で子供向けの童話とは一線を画するものなのだそうです。そこを誤解してはいけないのだそうです。私には何のことだか全然わからないのですがどうもそうらしいのです。この世界では、子供向けの童話とメルヘンを一緒くたにする人は非国民なのです。「詩とメルヘン」と言う雑誌があって、それに投稿なさっている方たちがたくさんいるようなのです。そこのサイトの常連さんはみんなその雑誌を読んでいて、「何月号には誰それの作品が載った」とか「誰それは最終選考まで残った」と言う話が当然のようになされています。また、私は間の悪いことに、みんなが楽しみにしていたプレゼント付き切り番をうっかり踏んじゃって、大騒ぎになって這々の体で逃げてきたのでした。切り番踏んじゃうのは不可抗力で仕方ないのに、掲示板で極悪人のようにののしられてしまいました。
 ただ、まあ切り番の話は別にしてもこのソサイエティがインターネットのいいところでしょうね。カメラだってメルヘンだってインターネットでなければこんなに人は集まらないでしょう。カメラのホームページを開いて、カメラ関係のページを巡っていると、カメラがものすごくメジャーな趣味のような気がしてきますが、実際の世界でカメラの話を出来る友人というのはほとんどいません。そんなものです。
 
 私が舶来カメラの話を書くと、どうしてか最終的にライカが高いという話になってしまうのですが、では私はライカが嫌いなのかというとそんなことは全然ありません。ほぼ万人が認める最高のカメラですから敬意こそ表していますが、嫌う理由は全くありません。逆にものすごく興味を持っています。ただ、あまり素直になれないのは、たとえば高校の頃にクラスに美人でかわいくて性格もいい女の子がいて、「いいなあ」と思ってもすぐ、「でもどうせ俺なんか相手にされるわけないよな」と思ってしまうような、そんな複雑な感情だと思います。ライカが良いのはわかっています。でも当分買えません。買う目処も立っていません。何たってボディだけで30万円コースですからおいそれと買うなんて言えません。そんな状況で悶々としているときに、ライカを持っている人たちが「世の中には二種類の人しかいない、ライカを持っている人と持っていない人だ」とか「ライカ人類」とか「ライカ共和国」などと言ってはやし立てるのでよけいに屈折して行くのです。そして「ライカを持っているのがそんなに偉いことなのか!」と叫んで(たぶんライカ共和国国民は「そうだよ」と言うんでしょうね)、アンチライカ主義に走るのです。
 ただ、アメリカにいるとそんな気持ちは霧散して行きます。ここの人たちは別に価値もない古いAE一眼レフを大切に使っています。自分が好きだから使っているのです。私もいつかライカを買う日が来たら、そのときは「自分が好きだから使う」と言う姿勢で行きたいものです。

 本当はこのテキスト、レチナの紹介のつもりで書き始めたんですが、いつの間にか舶来カメラとライカの話になってしまいました。






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