実用カメラってなあに?

 よそで盛り上がった話題で雑文を書くのはいささか気が引けるのだが、この「実用カメラとは何か」という話題は私にとって結構重要なので一度自分の考えをまとめておきたいと思う。

 中古カメラというのは、多くがもうすでに生産を終えたカメラである。そしてご存じの通りカメラメーカーは高級カメラであっても10年を目処にして修理用の部品のストックをやめてしまう。これは旧通産省の指導だそうで、法的な拘束力はない。つまりメーカーの予想を上回るペースで消耗をする部品があって、10年を待たずに補用部品がなくなっても、誰も法的に文句を言うことは出来ないのである。キヤノンNewF−1は通産省の指導に従っていれば、まだすべての修理が可能なはずだが、かなり早い時期に一部のパーツの在庫切れが発生したのは有名な話である。それにしてもまあ一般に言って、生産終了から10年間は、部品交換が必要な修理であっても可能であると考えていいだろう。

私にとってはすべて「実用」カメラです 問題はそれからである。10年を経過したカメラは果たしてどうなるか?メーカーが修理を受け付けなくなる可能性もある。実際に古いカメラについては分解清掃すら受け付けないメーカーもある。幸いキヤノンは古いカメラでも分解清掃を受け付けてくれるので、例えばAシリーズのシャッター鳴きなどは修理をする上でも特に大きな問題にはならない。ただし、部品交換を伴うような故障になると、ほとんどの場合が修理不能である。これは機械式、電気式に関わらずどのメーカーのカメラでも同じである。
 キヤノンAシリーズの補用部品はすでにストックされていない。つまり、Aシリーズが部品交換を必要とする故障を起こした場合は、修理不能になる可能性が極めて高いのである。10年を経過した時点で、修理についての不安が確実に発生するわけである。 特に電子パーツが故障した場合は完全にお手上げである。キヤノンAシリーズに使われているチップは20年以上前のもので、いま同じものを手に入れるのは不可能である。A−1のマイクロチップが壊れた場合は、他のA−1から部品を移植しない限りは修理不能である。そして基本的にメーカーはこの手の修理は受け付けていない。キヤノン場合は「どうしても」と頼み込んだ場合、2台分の修理費用を請求されるらしい。
 機械式のカメラの場合も部品がなくなれば修理が出来なくなるのは同じである。F−1のガバナーやギアはF−1専用のもので、例えば現行品のEOS−1VのギアをF−1に転用することは出来ない。もし、F−1の機械部分が破損した場合は、やはり他のF−1から部品を移植するしかないだろう。機械式のカメラの場合は最悪の場合、部品を作って直すことも不可能ではないと言われている。電子部品をひとつ作るというのは不可能だが、ギアをひとつ作るという話は全くあり得ない話ではない。しかし、それを実行するためには多額の投資が必要になるだろう。可能ではあっても費用対効果を考えれば現実的ではない。

 それでは実用カメラと非実用カメラの境界線はどこで引かれるのだろうか?修理に対する不安が発生した時点で、もはや実用とは言えないという意見もある。これは正しいと思う。例えば「壊れても修理が可能だ」と思えば大胆に写真を撮ることが出来る。小雨が降っている状況であってもアグレッシブにシャッターを押せるかもしれない。壊れることを心配しながら使わなければならないカメラというのはもはや実用とは言えないだろう。
 しかし私は「生産終了から10年をすぎたカメラは実用カメラとは言えない」とは思わない。私にとっては仮に修理が可能であっても修理代というのは無視できない金額である。私はどんなカメラであっても「壊れてもいい」と思って使うことはないのである。買って1年以内の保証期間内ならともかく、重修理なら軽く1万5千円コースになる。修理可能であろうが不可能であろうが、このあたりの意識としての差はほとんどない。そもそもがファミリーカメラマンの私には、故障のリスクを押してまで撮らねばならない被写体はほとんどないのが、現実である。プロやハイアマチュアと呼ばれる人にとっては、このあたりの問題は重要なのかもしれない。

 「電気式のカメラは実用カメラとは呼べない」と言う話もある。実はこれは非常によく言われる。しかし生産終了から10年が経過したら、修理が困難になるのは機械式も電気式も同じである。メーカーが部品を保有していなければどっちにしろ修理は出来ない。この点について機械式のアドバンテージはないと思う。あとは故障率の問題である。
 電気式のカメラと機械式のカメラではどちらが壊れやすいのだろうか?これは私にはわからない。もしかすると電気式のカメラの方が壊れやすいかもしれない。電気式のカメラと言っても、シャッター幕を動かしたり、ミラーを上げ下げする機構は機械である。A−1の底板をはずしてみればわかるが、機械がびっしり詰まっている。スローガバナーがないくらいで、カメラとして重要な部分は依然機械なのである。つまり、A−1は電気式のカメラと言われているが機械的な故障の可能性も持っているわけで、例のシャッター鳴きは機械的な故障である。
 また完全な機械式カメラでは、実際に部品を交換しなけれならないほどの破損というのは滅多に発生しない。機械式カメラで発生する不具合の多くはオイルの劣化かオイル切れが原因であり、機械的な故障が原因でカメラを破棄しなければならない事態というのは、それほど多くない。機械式カメラは使っていれば摩耗するしスローガバナーの精度は落ちてゆく。しかし使用に耐えないくらい精度が落ちるのは相当先の話であろう。電気式のカメラの電子部品は確かに摩耗はしないが、電気パーツが故障する危険性プラス機械的な故障の可能性も持っていることになる。
 しかし、機械式カメラと電気式カメラの故障率の差がどれくらいなのかは全くわからない。私はそれが実用カメラと非実用カメラの線引きになるほど大きなものとは思えないのである。

 「実用」とはそもそもどのような意味なのだろうか?広辞苑では「実地に用いること、実際に役に立つこと」と書いてある。「実地に用いることが出来るか?」「実際に役に立つか?」というのは結局は主観の問題だと思う。私の持っているAシリーズのカメラは実地に用いているし、実際に役に立っている。私にとってAシリーズは「実用」カメラなのであり、これは誰がなんと言っても間違いない。サーボEEファインダー付きF−1だって実地に使っているし実際に写真を撮影している。「何もいまさらサーボEEファインダーなんて使う必要はない、だから実用ではない」と言う意見もあるかもしれないが、私は自分の道楽のため写真を撮っており、道楽のためにサーボEEファインダー付きF−1を使っているのである。あれは使ってみるとすごく楽しい。私の趣味にとってあれは十分実用なのである。確かに合理的ではないかもしれない。しかし趣味というのはもともとそんなものである。
 趣味としての釣りだって同じである。誰も生きてゆくためにルアー釣りをやっているわけではない。合理的に魚を捕るなら漁船を仕立てて魚を捕りに行くに限るし、家庭で食べる魚なら魚屋さんに売っている。休みをつぶして釣りに行くより安くて簡単に魚が手に入る。しかし、あれは釣りをする過程が楽しいのであって、合理的かどうかとか実用的かどうかなんて関係のない話なのである。趣味としてのカメラだって同じである。
 カメラを実用かどうかという基準で区別する人は、趣味で写真を撮っていないのだろうか?某プロカメラマンは仕事の場合はEOS−1を、お散歩の時はF−1を使っているそうだ。この場合、F−1は仕事用カメラとしてはもはや「実用」ではないのかもしれない。しかし、F−1自体が「実用」でないわけではない。私の用途はこのプロカメラマン氏のお散歩よりまだレベルの低いものである。

こいつは実用にはなりません 私はプロではない。だから趣味として楽しいカメラが私の実用カメラである。私にとって実用でないカメラというのは、使うための苦労が使うことの楽しみを上回った場合である。撮影したあとファインダーがブラックアウトする1950年代から60年代のレンズシャッター式一眼レフは私にとってはまだ「実用」である。フィルムの生産が終了していて、暗室で120判のフィルムをカットして自分で巻かなければフィルムがないカメラは、残念ながら私にとっては実用とは言えない。しかしこれとてもあくまで私の基準である。そうやって楽しんでいる人にとっては616サイズだろうがバンタムだろうが十分実用なのである。そういう人に向かって「コダックバンタムスペシャルはフィルムがないのだからもはや実用カメラではない」というのは無粋と言うものであろう。その人の趣味という用途ではコダックバンタムスペシャルは十分実用なのだから。
 もちろん、「修理が出来ないカメラは不安だ」と言う人にとっては確実に修理の出来るカメラが実用カメラの基準になるだろう。それはその人の用途と価値観の問題なのである。

 と言うわけで実用かどうかというのは「個人の価値観の問題であり、他人が意見する問題ではなかろう」言うのが私の結論である。私としては実用の範囲をなるべく広くしておきたいと思っている。その方が私の趣味として楽しいからである。





戻る(検索エンジン等でご来場のかた用です。左にメニューがでている方はそちらをご利用ください)