2年半ぶりの日本

 2年半ぶりに日本に戻ってきてから、約一ヶ月が過ぎた。その間、ほとんどまともに更新できなかったのは、このサイトをごらんになっているみなさまが一番よくご存じのことである。更新できなかった理由はいくつかある。本当は仕事が忙しくなったというのが最大の理由なのだが、毎日終電で帰宅しながら日記を更新されているNさんの例もあるので、仕事のことは言い訳にできない。

 ひとつは通信環境の問題である。私はアメリカに行くに際し社宅を借りたままにして、荷物の大半をそのままにしておいた。荷物はそのままだが、電話も電気も水道も全部止めた。車も売ってしまった。帰国後は文字通り一から生活基盤を整えなければならないのだが、ここまで生活基盤が崩壊していると「ネット環境」のプライオリティーは大きく低下せざるを得ない。まず帰ってきたその日のうちに布団を買わなければ寝るところがないのである。そしてその布団を買いに行く車がないのである。そして私の職場は私に「帰ってきてすぐ出勤」するように命じたのである。
 アメリカと違って日本では車を即金で買ってもすぐに乗れるわけではないが、普通に車を買うときは乗り換えであるから、新しい車の納車がいつかというのはそれほど大きな問題にはならない。しかし、「今乗る車」がなかった私の場合は納車の時期は切実な問題である。実際、車庫証明やら車検やらで軽く1週間はかかってしまう。生活基盤が崩壊した状態で1週間車なしで過ごすわけには行かない。
 私はアメリカからある中古車屋に国際電話を掛けて、「この店で車を買うから代車を用意しておいてほしい」と言う約束を取り付けておいた。通常、車というのは何日も掛けて何軒も中古車屋(か新車のディラー)を当たって慎重に慎重を期して選ぶものなのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。中古車屋の在庫だけをネットで確認して、お店を選んだのである。何を買うかは見てから決めればよろしい。と言うわけで仕事から戻ってきて、中古車屋に着いたのがすでに6時過ぎ。もう選ぶどころの話ではなく、ざっと見てトヨタイプサムを買うことにした。恥ずかしいので値段は勘弁していただきたいが、3年前ならこんなお値段でイプサムは買えなかったであろうと言うような値段であった。ちなみに純正カーナビ(音声案内付き)が付いていた。平成14年にしてカーナビデビューの私である。

 そんなこんなで生活基盤の復旧に1週間も費やしていたのだから、ネット環境どころではなくて当然である。ネット環境に着手したのは帰国後10日近く経ってからだった。はじめはADSLを引くつもりだったのだが、結構手間と時間がかかるらしい。手っ取り早く繋ぎ放題の環境を手に入れたかった私が選んだのはPHSだった。DDIのAirH"なら5000円未満でモバイルつなぎ放題の環境が手にはいる。これは便利だ。欠点は上りの速度が17kしかでない点であるが、下りなら32kで何とか我慢の出来る速度である。
 とりあえずの環境は整ったが、17kで大きなファイルをアップロードするのはやはりしんどい。やはりそのうちADSLを引かなければならないと思っている。ちなみにAirH"であるが、これ自体はきわめて快適である、いろいろ実験してみたのだが、車の中でも電車の中でもネットに接続できてほとんど切れない。昔のPHSは自動車の中で使うとすぐ切れるとか、混んでる場所では使えないと言った問題も多かったが、どうやらその当たりの問題は解決したようだ。加入者もそれほど多くなさそうなので、混んでつながりにくいこともない。ちょっと手放せそうにない通信環境である。

 もう一つの理由が気温である。東京は暑い!アメリカ山間部の涼しい気候になれていた私にとって東京の暑さは殺人的である。私の住まいは3階建てのアパートの3階、パソコンやカメラがおいてある部屋は南向き。冬は暖かくて良いのだが、夏は日中の熱気を思う存分吸収して真夜中になっても暑くて暑くて5分と部屋にはいられない。そんな環境でカメラを片手にサイトの更新をする気にはなかなかなれるものではない。

 2年半のアメリカ生活で私のカメラはものすごい速度で増殖した。当初持っていったカメラは一眼レフ6台だけだったはずなのだが...私は増殖したカメラ達を増殖したそのほかの荷物とともに、日通で日本に送ることにした。アメリカの家は広かった。そして荷物というものは部屋の大きさに正比例して増えて行く。引っ越し用の段ボールで約40箱。持ってきた荷物の4倍近くに膨れ上がっている。そして私は日本の家の狭さを感覚的に忘れていた。

「まあ、しばらくは段ボールに囲まれて生活しなければならないかもしれないけど、そのうち何とかなるだろう」

くらいにしか考えていなかったのだ。日本の家に戻って愕然とした。

「こ、これは...物理的に不可能だ」

 速攻で日通に電話してとりあえず倉庫に預かってもらうようお願いした。日通さんは快く引き受けてくれ、慣れた感じで手続きをしてくれた。どうやらこういう失態を演じるのは私だけではなさそうな感じである。
 当面は段ボールに家を占領されることはなくなったが、アメリカで買ったカメラの大半は日通の倉庫で眠っている。日本に帰ってから作ろうと思っていたコンテンツもしばらくお休みである。

 しかし実はもっと大きな問題が残っていた。冬物衣料もすべて段ボールの中にあるのである。今はよい。しかし、冬が来るまでに何とかしないと一家四人は東京の冬空の下で凍死してしまうかもしれない。何とか11月までに荷物を引き上げなければならない。

 どうしよう。家でも買おうか?