落とす、壊す、なくす
私は良くものを「落とし、壊し、なくす」。これははっきり言って人間として大いなる欠陥である。何とかしようと思うがそれこそ物心ついたころからの習性なので、容易に直るものとは思えない。ただ「落とす、壊す、なくす」という習性が直らないおかげで、それに対処する術は少しずつ身につけてきた。戦略的問題を戦術的に解決するのは決して正しいことではないのだが、戦略的には解決できないので、姑息にも小手先の戦術でごまかしている次第である。
まず、人からなるべく物を借りない。私は人のものであっても自分のものであっても分け隔てなく「落とし、壊し、なくす」。決して粗雑に扱っているわけでも、ハナからなめているわけでもない。人から貸していただいたものは細心の注意を払って扱う。ただ、何かの拍子に注意力がゼロになることがあるのだ。人から借りたものを壊したり無くしたりしたら大変である。お詫びをするとともに、買ってお返しするか、有償修理しなければならない。財政的にも一気にピンチになる。そもそもなんで借りているかというと、使用頻度が低くて比較的高価なものだからである。さらに、貸した側にすれば、せっかく貸してあげたものを「落とされ、壊され、なくされる」というのは非常に印象が悪い。人間関係をも左右しかねない。それならばはじめらか借りないほうがいい。どうせ後から弁償するくらいならちょっとくらい高くたって自分で買ったほうがいい。というわけで私の周りには使用頻度の低いものがたくさん転がっている。
もちろん自分のものも豪快に「落とし、壊し、なくす」。最近は無いが、10年ほど前までは年中行事のように財布を落としていた。クレジットカードの再発行は慣れたものである。免許証ははじめから財布の中には入れない。当時もっとも再発行が面倒くさかったのが第一勧業銀行のキャッシュカードであった。キャッシュカードの分際で再発行するためにはわざわざ店舗まで行かなければならない。当時私は福岡県遠賀郡というところに住んでおり、小倉まで行くのは本当に面倒くさかった。しかし、もっとショックだったのはダイエーホークスファンクラブの会員証であった。私はホークスが南海から移ってきたときからのファンである。優勝を機にファンになったような似非ファンではない。田淵監督の元、最下位の悲哀も味わってきたファンである(といってもたかだか10年前であるが)。会員証も1年目から持っている。しかし、財布の中に入れていたおかげで落としてしまった2年目だけが欠になっている。これはいまだに悔やまれる。
そんな大げさなものではないが、「ちょっと行方がわからない」というような状況は毎日である。特によくやるのが車のキーである。いざ車に乗ろうと思うといつもの場所にキーが無い。さて困った。記憶をたどって行く。「昨日は車に乗ったから、昨日の夜の段階ではあった。きちんと家にも持ってきた。ということは家の中、机の上か昨日着ていたコートのポケットが怪しい。」これで見つかることもある。しかし見つからなかった場合はどうするか?その場合に備えて私は常に予備を準備することにしている。鍵はもらったらすぐ合鍵を作って本物は秘密の場所においておく。仕事で必要な書類もコピーを取って本物は隠しておく。こうしておけば最悪の事態は回避できる。
ふだん使うものもできるだけ複数用意しておく。たとえばボールペン。私はパーカーの一番安いボールペンを愛用している。JOTTERという名前らしい。この書き味になれてしまって、これなしではいられない。当然なくすことを想定し、安売りのときにまとめて買って準備しておいた。予備を投入する日はすぐにやってきた。しかし、2本目をおろすとなくした1本目がすぐ見つかる。「まあ、いいわい」と思ってしばらくすると2本ともなくなる。仕方が無いので3本目をおろす。すぐにすべて見つかる。ということを繰り返し、結局いまでは、どの引出しを開けても、どのかばんを開けてもパーカーのボールペンが出てくるようになっている。これはこれで非常に便利なのだが、素直に喜べないところが悲しい。
先日の話であるが、どうしてもボールペンが見つからなくて新しいのを出した。使い終わって引き出しにしまおうと思ったらその引出しからボールペンが4本も出てきた。つまり探す場所としまう場所が根本的にずれているのである。探しているときは引き出しの中なんて気づきもしなかった。これを欠陥と呼ばずして何を欠陥と呼ぶだろう。
整理整頓もあまり良いほうではない。整理整頓をしない人は「この乱雑さの中に秩序があって、どこに何があるかはきちんと把握している」と言い訳されるが、私のはそんな立派なものではない。整理整頓してもしなくても同じくらいなくすのだ。きちんと整理整頓しても、つい棚の上にヒョイっと物を置いて忘れてしまうのである。
もう半年くらい名刺入れの姿を見ていないが、あれはいまどこにいるのだろう。
幸いにして、カメラは盗まれたことはあるがなくしたことはない。落としたことは何回もある。ペンタックスSPFのおでこの傷やローライB35の擦り傷は私がつけたものだ。しかしカメラというのは案外頑丈で、落下が原因でオシャカになったことは今のところ無い。
こういう習性で人生を送っていると良いこともある。それは他人が私のものを「落とし、壊し、なくし」た時きわめて寛容な気持ちになれることである。A−1のときもそうだったし、EOS630を落下品にされたときもそうだった。相手の気持ちが自分のことのように良くわかるのである。なんといっても自分が何度も味わった気持ちだから。
ここまで書いてふと思ったのだが、人に一眼レフを貸すことはそんなに頻繁には無い。考えてみれば私が他人に一眼レフ一式を比較的長期間貸したのはA−1とEOS630だけだ。そしてどちらも無事には返ってこなかった。確率100%である。これをどう説明したら良いか私にはわからない。ひとつだけ言えることは、私からはカメラは借りないほうがいいということである。しかし安心していただきたい。壊されても無くされても私は寛容である。
戻る(検索エンジン等でご来場のかた用です。左にメニューがでている方はそちらをご利用ください)