記憶とタグ

 人の記憶というのはいい加減で曖昧なものである。私などは早くもメモリーブロックの崩壊が始まっているようで、物を置くと同時に置いた場所を忘れる。日々忘れながら生活しているようなものだ。しかし、人間というものは元々忘れる動物らしい。
 人間の記憶の中に納められた出来事は、たいていの場合は忘却の彼方に消え去ってしまう。人間そうでもなければやっていられない。しかし、忘れられた記憶というのは必ずしも失われたわけではないらしい。ふとしたきっかけですっかり忘れていた昔のことを思い出したことがないだろうか。良い思い出の場合もあるが、
「うげっ、思い出すんじゃなかった」
と言うようなこともある。
 聞いた話だが、人間の記憶には、記憶を呼び戻すタグのような物があるらしい。そのタグに出会うと昔の記憶がよみがえるのだ。昔見た景色や昔の写真に出会うとその当時のことが鮮明に思い出されることがある。これも記憶のタグのひとつらしい。その他にもタグはある。

 例えば流行歌。流行歌には思い出が詰まっている。

 日本では毎月たくさんの新曲が発表されている。売れるものもあれば売れないものもある。しかし売れようが売れまいが、テレビやラジオで流れるのは3ヶ月から半年くらい。もしその歌が大ヒットすれば聞きたくなくても半年間その歌を聞かされることになる。そしてその半年が過ぎればほとんど耳にすることがなくなる。歌手は次の曲を歌うようになり、テレビ・ラジオは次の曲にスポットを当てる。どんなに良い歌であっても流行歌である限り、時代とともに消えて行く運命にある。

 流行歌はある時代にしか耳にしない歌だから、その時期に起こったことと密接に結びついて、記憶の中に納められる。久しぶりにむかし流行った歌を聞いたとき、歌と結びついていた記憶がよみがえってくることがある。これは誰でも身に覚えがあることだと思う。
 「あっ、この曲懐かしい」
と思うと同時に昔好きだった女の子に振られたときの情景が、まざまざとよみがえってきたことがあなたにもあるだろう(断定)。わたくし的にはあみんの
「待つわ」がかなり痛かった(高校2年生秋)。
 しかし痛いとってもずいぶん昔の話。実際は「痛い」よりも「懐かしい」が優先される思い出である。

 ところで全く余談で前々回の雑文の続きのような話で恐縮であるが、私は高校2年生の時に振られた女の子のことを吹っ切ることが出来ないまま大学生になっていた。そんな大学2年生の夏、つくば市で科学万博が開催された。ご記憶の方もいることだろう。
 万博自体は混んで混んでどうしようもなかったのだが、その中でひとつおもしろいコーナーがあった。郵政省(当時)主催のブースで、「今ここで出した葉書を21世紀になったら配達する」というイベントであった。ここで私は若気の至りを発揮しまくって、その女の子の家に葉書を書いて出してしまったのだ。当時は
「21世紀なんてどうせ遙か彼方のこと」くらいしか思わなかった。

 
しかし21世紀は意外なほどあっさり来てしまった。


 朝日新聞のウェブ版で配達が始まったことをアメリカで知って冷や汗が出た。どうしよう。私の性格から考えて、そんな失礼なことは書いてないとは思うが、しかし書いた内容に全く記憶がない。そもそもそんなイベントで振られた女の子に葉書を出しているくらいだから、絶対ろくなことは書いてないに決まっている。
 そうやってぐずぐずしているうちに、そのイベントで女の子への葉書と一緒に親戚の家宛に出した葉書が
「無事届いて失笑を買っている」
というメールが姉から届いた。

「ヤバイ、これはマジでヤバイ。全然洒落になってない」

 郵政事業庁さま、そんな16年がかりの時限爆弾をいまさら配達しないでください。


 これはもう、待ったなしである。ぼやぼやしているうちに爆弾が配達されたら、死んでも死にきれない。1年以上前に彼女の実家が引っ越していれば問題なし。引っ越ししていなければあきらめて坊主になって、お詫びをする。痛いのを覚悟でその女の子(今は女の人)にメールを出して状況を確認することにした。

 神は私を見放してはいなかった。彼女に実家は数年前に引っ越して、跡形もなくなっているそうだ。ブラボー。
「うっそー、見たーい」
やかましい!どうやら私は人間としての尊厳を失うことなく残りの人生を送れることになったようだ。めでたしめでたし。みなさんにもこういう不注意には十分に気を付けていただきたいと思う。もっともこんなお馬鹿なことをするのは私くらいかもしれない。 


 カメラは流行歌ほど移り変わりの激しい物ではない。中級カメラなら少なくとも5年以上は市場に流通しているだろう。しかし、カメラは記憶に残る大切な場面を持ち主と一緒に過ごしているだけに、記憶を呼び戻すタグになる可能性は高い。
 私もそうなのだが、現在の中古カメラブームを支えている人たちは、自分が昔使っていたカメラを再び使うことによって中古カメラにハマッていくことが多い。よく観察するとおもしろいことがわかる。多くの人は10代から20代の頃写真にハマッていて、その後いったん写真から遠ざかっている。そして久しぶりに触った昔のカメラに感動して、中古カメラ街道まっしぐらになる。写真やカメラ関係のサイトのオーナーのプロフィールを見てみると不思議とこのパターンが多い。もちろんずっと写真を撮り続けている人も少なくないが、ブランクがある人が多いのがおもしろい。そしてだいたいの人のブランクは1980年代後半から90年代に来るような気がする。これはちょうどMFからAFに切り替わった時期である。
 私もそうだった。高校時代A−1にハマって写真にどっぷり浸かり、大学生の頃A−1を盗まれてEFを買ってからも写真を撮り続けていた。しかし、京セラSAMURAI、EOS630と進むに連れ次第に趣味として写真を撮ることが少なくなり、重いことを理由にしてオートボーイ2を持ち歩くことが多くなった。そんなある日、ひょんなことからカメラ屋さんのショーウィンドーでキヤノンA−1を久しぶりに見たのである。手に取ってみて、昔の記憶がよみがえってきた。10年ぶりなのに操作はすべて覚えている。10年間のブランクが埋まって行くような気がした。もはや、このカメラを置いて帰ることは出来なかった。

私にとってキヤノンA−1は記憶を呼び起こすタグだったのである。