初めて使った一眼レフ

 このホームページに来ていただいているかなりの数の方が、私の年齢の前後5歳程度に収まるような気がしております。私が今36歳ですから、まあ平たく30代と言ってもいいでしょう。この世代はAシリーズ全盛期を中学、高校、大学で過ごした世代です。おそらく初めて手にした一眼レフがAシリーズなのではないでしょうか?

 私の刷り込み キヤノンA−1生物学の話で「刷り込み」と言うのがあります。ひよこが生まれて一番初めに見たものを親だと思って後を付いて行くという、あれです。広辞苑によると「生後まもない特定期間の内に目にした動物や物体が雛に固定的に認識され、以後それを見ると機械的に反応すること」と書いてあります。私の仮説はこの刷り込みはカメラについても言えるのではないかという大胆なものです。

 私はいろいろなカメラのウェブサイトを見て回っているのですが、扱っているカメラと管理者の年齢は一定の関係があります。1970年代の一眼レフを扱っているのは大体30代、1950年代のレンジファインダーを扱っているのは大体40代から50代と言うような感じです。もちろん例外は多数ありますが、実際自分が良く知らないカメラのサイトを作ることはなかなか出来ることではありません。例えば私がペンタックスSシリーズのサイトを立ち上げようとしても、それが現役であった頃のことをほとんど知りませんから、これはなかなか難しいことです。Aシリーズであれば知識も経験もありますから作りやすいと言う面があります。しかし、それだけではなさそうです。共通点はみんな10代の頃に出会ったカメラである、ということです。

 今はどうだかわかりませんが、我々が子供であった頃は一眼レフカメラというのは大変高価なものでした。少なくとも子供が使うものではありませんでした。ですからキヤノンA−1を手にしたとき、何となく大人になったような気がしたものです。あるいは一眼レフを手にすると言うことは、とりもなおさず自分の趣味が「カメラ、写真」であることを決定づけるものでしょう。10代に初めて手にするカメラというのはそれ程大きな意味があると思います。
 そして概して10代というのは時間がありますから、宝物のカメラのどっぷりはまります。また、基本的に可処分所得が少ないですから(要はおこずかい、バイト代)今なら簡単にお金で解決できる問題でも苦労します。おそらくみなさんもご経験があるのではないでしょうか?
(1)接写をするために文房具屋で売っている虫眼鏡を使った。
(2)接写用中間リングが欲しくて、ボディキャップとレンズのリアキャップに穴を開けて瞬間接着剤でくっつけた。
(3)スローシンクロをやりたくてセロハンテープでストロボの接点をマスクした(199Aが買えない)。
(4)望遠レンズを作った。(初期のキャパに作り方が載っていました)。
(5)コルクで専用のパームグリップを作ろうとして失敗した(ペンタックスLXのまね)。
(6)中古で安かったFL用のケンコーテレプラスを買ってしまった。
(7)キャパ創刊号付録のスポーツファインダーを実際に使った。
(8)紙でフードを作った。失敗して薄いプラ版で作った。
(9)印画紙を買うお金をケチって期限切れ半額のものを探した。
 いかがでしょう。二つ三つは思い当たる節があるのではないでしょうか。今ならおそらくこんな面倒くさいことは誰もしないでしょう。接写がしたければベローズや中間リングを買ってきますし、望遠レンズなんていくらでも手に入ります。しかし、10代の頃はそうはいきません。慢性的金欠のもとカメラとともに苦境を乗り切って写真を撮るのが当時の10代でした。ここまで来れば一種の戦友のようなものでしょう。当然思い入れも深くなりますし、カメラ自体についての知識も増えて行きます。私はこれがすり込み現象の最大の原因だと思います。

 さらに、シャッター優先AEか絞り優先AEか、はたまたマルチモードか?の論争も結局最初に使ったカメラの方法が一番使いやすくなるものです。A−1が発売当初、プロや専門家にあまり好意的に受け入れられなったのは、それが全く新しい手順や操作を要求するからであり、最初からA−1を使ったユーザーにとってはこれが一番使いやすい方法になります。少なくとも私はそうでした。EOS630を使ったとき、操作が煩雑で思うように使えませんでしたが、もしEOS630が私にとって初めての一眼レフカメラであれば、それが一番使いやすいカメラになったことでしょう。

 初めて使った一眼レフは思い入れたっぷりで忘れることは出来ません。それが中古になって手頃な値段になると思わず手が伸びてしまいます。昔高くて買えなかったアクセサリーが手に届く値段で置いてあれば意味もなく買ってしまいます。でもそれは正常な行動です。なぜなら「生後まもない特定期間の内に目にした動物や物体が雛に固定的に認識され、以後それを見ると機械的に反応する」ものなのです。そこに合理性が無くても、機械的に手が伸びてしまうのです。これは生物学上きわめて正常な行動と言えるでしょう。そしてこれに耐えるのは体に悪いと言えるでしょう。ですから衝動買いを控えては行けません。それは正しい行動なのですから。






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