パソコンとソフトのバーションアップ

 思えば、最初にパソコンという物を買ったのは10年以上も前になる。1991年の夏のボーナスで「ステップ」という今は無き通販会社から買ったEPSON386NOTE Wと言うパソコンが私の買った最初のパソコンである。当時はNECの98シリーズが我が世の春を謳歌していた時代、パソコンを選ぼうにもさほど選択肢はなかった。選択肢と言えばパソコンを買おうか、東芝のルポ+スーパーファミコンにしようかという選択肢は明らかに存在した。

「どうせパソコン買ったって、ワープロとゲームしかしないんでしょ。」

パソコンにしておいてよかった。その中であえてNECを避けてエプソンの98互換機を買ったところが私らしい。ノートパソコンでCPUは386SX 16Mhz、メモリー640KB、ハードディスクなし、フロッピースロット2個付き、モノクロ液晶ディスプレーと言う、当時としては鬼のようなスペックだった(今でも違う意味で鬼のようなスペックだが)。「ノートパソコンに386を搭載している!!」と言うだけで驚きだった時代なのである。OSはMS-DOS3.1、ソフトと言えば一太郎V4とロータス123が主流だった。ハードディスクを搭載していないため、一太郎はフロッピーベースで運用しなければならない。FEPのATOKが変換を試みるたびに辞書がおいてあるフロッピーにアクセスするので漢字変換に時間がかかってかなわなかった。実際、驚くほど使いにくいので驚いた。

「こんなことならルポにすればよかった〜。」

 しかし、メモリーを6MBに増やし80MBのハードディスクを増設することにより私のパソコンはルポに並び、そしてルポを抜いた。これがパソコンの醍醐味である。
 このパソコンはかなり愛用したが、結局ウィンドウズ3.1に乗り換えるときに現役を退いた。約3年の運命だった。

 次もノートパソコン、ペンティアム60を搭載した台湾製のちょっと異色のマシンだった。このパソコンはがんばって4年間使った。オプションでドッキングステーションが用意されていたが、スロットはISA2個とVLバス2個。時代を感じる組み合わせである。良いパソコンだったが時代の波には勝てなかった。ウィンドウズ95なら大丈夫だったがさすがに98は無理だった。また専用メモリーが必要だったのですぐに入手不能になったのも痛かった。


 今、私は3台のパソコンを持っている。1台は家内専用になっているが。CPUはそれぞれペンティアム2 366Mhz、セレロン300Mhz、ペンティアム!!! 550Mhz。ペンティアム!!!がデスクトップであとはノートパソコンである。どれも1世代以上古いパソコンばかり。そろそろ買い換えてもいい時期であろう。しかし、今の私はこれらのパソコンを買い換えたいという気持ちがそれほど強くない。それほど不便を感じていないからである。
 思えばパソコンの買い換えはアプリケーションソフトやOSの進歩との追いかけっこだった。「新しいOSを使いたいが今のマシンでは力不足である」と言うのが買い換えの動機になっていた。いま私が使っているOSはウィンドウズ98SE、よく使うアプリケーションソフトがMSオフィス2000。3年前と全く同じ環境である。
 日本にいたときは愛用しているソフトがバージョンアップするたびに、サービス期間中に更新していた。「本当に必要なバージョンアップかどうか」を考える間もなく、まるで税金を払うようにバージョンアップ料金を払っていたのだ。

「きっとさらに便利になっているに違いない。サービス期間を逃してあとで後悔はしたくない。」

 アメリカでは当然ながら日本語版のOSやアプリケーションソフトは手に入らない。日本を発つとき、ソフトのバージョンアップが出来なくなるのがそれはそれは不安だった。しかし出来なければ出来ないで別に大した問題ではなかった。実際バージョンアップなんてそれほど必要なかったのである。アメリカに来てから入手した日本語版のソフトはホームページビルダーだけ。あとは3年前のままで、何の不自由も感じていない。私はパソコンでゲームはしないし、画像の編集もウェブページで使う画像程度である。デジタルビデオの編集もペンティアム!!!で十分であった。

 それ以上私に何が必要だろう?

 ペンティアム2のTHINKPAD600Eはアメリカに来てからE-bayで落札した。日本から持ってきたノートパソコンを家内に占有され、出張用にもう一台必要になったからである。600Eは買った時点ですでに2年以上前のモデルであった。しかし、実用上の不便は全くない。古いモデルゆえに、アクセサリーが激安で手に入るのも魅力だ。専用ドッキングステーションがわずか$40である。メモリーの値段もどんどん下がり、もう良いと言うくらいのメモリー大臣になっている。アメリカに来てソフトのバージョンアップ地獄から開放され、ハードの買い換えの必要性も無くなった。これはとっても幸せな状態である。

 日本に戻ってからもこの状態が続くかどうかはわからないが...


 ところでいきなりだがカメラも同じではないだろうか?私はいま、20年前なら絶対にあり得なかったであろう程の機材を保有している。キヤノンだけでもNewF−1 2台と旧F−1 3台を持っているのだ。さらにNewFDの328なんて言う身の程知らずのレンズまで持っている。しかしこれらの機材の買い値を全部足してもEOS−1vにはとうてい届かないと思う。EOS−1vについてはよく研究したことがないので詳しくはわからないが、素晴らしいカメラなのだと思う。しかし、果たして私に必要だろうか?私程度であればキヤノンA−1でさえ力不足になることはまずない。F−1でも宝の持ち腐れのおそれがある。
 いやもちろん趣味で写真を撮っているのだから自分が一番使いたい機材を買えばいいのだ。必要だから買うのはプロの話であって、我々は趣味なのだから使いたいカメラを買えばいい。それが最新式のカメラであればそれを買えばよい。趣味というのはそういう物だ。
 ただ、もし、最新式のカメラでなければ良い写真が撮れない、満足のゆく写真が撮れないと考えているのなら(うちのサイトに来ている方の中にはいないでしょうね)、今一度立ち止まって振り返ってみても良いのではないかと思う。意味のないバージョンアップから開放されたとき、カメラの新しい楽しみ方が見つかるかもしれない。