コダックシグネット40

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 コダックはアメリカを代表するフィルムメーカーとして有名です。おそらく今日でも世界最大のフィルムメーカーと言っていいでしょう。そのコダックは19世紀から写真関係の製品を作っていました。世界で初めてロールフィルムを作ったのはコダックです。20世紀の前半はコダックはフィルムだけでなく世界有数のカメラメーカーでした。20世紀のはじめ、写真は誰でもできる趣味ではなく、特別な写真術を学んだ人の特別な技術でした。写真を撮ることももちろんですが、当然自分で処理をして写真を仕上げなければなりません。湿版のころは、ガラスに乳剤を塗るところから始めなければなりませんでした。写真屋さんは簡易暗室を持って撮影に向かったそうです。乾版になってからは少しは状況が改善されましたが、やはりアマチュアカメラマンが気軽に写真を撮るには至りませんでした。そこで1900年に登場したのがコダックのロールフィルムとブローニーカメラです。「あなたはシャッターを押すだけ、あとは我々がやります」というのがブローニーのコマーシャルコピーだったそうです。このカメラは今で言う「写ルンです」シリーズのはしりのようなものだったそうで、まずフィルムが装填されたカメラを$1で買ってきて写真を撮ります。撮影が終ってカメラごとコダックに送ると現像されてプリントされ、カメラには新しいフィルムが装填されて帰ってくると言う仕掛けです。今考えると冗長なシステムですが、このカメラがアマチュアカメラマンのすそ野を広げたのは間違いありません。
 コダックはその後もブローニーシリーズを作り続けます。フィルムもカメラの大きさに合わせて数十種類も発売しました。現在残っているのは120フィルムだけですが、1960年代くらいまではほとんどのフィルムが発売されていました。私が持っているブローニーは616フィルムで1980年代前半に生産が終了しました。もう少しフィルムの規格を狭めてくれればもっとたくさんのブローニーカメラが今でも使用できたのでしょうが、当時コダックはカメラを出すたびに同じ仕掛けでサイズが違うロールフィルムを作っていたのでした。

 さて、当時の日本はと言うとロールフィルムはほとんど入ってきませんでした。文献によると湿気の多い日本の気候が当時のロールフィルムには向かなかったのだそうです。まあ、冷蔵庫も防湿庫もなかった時代ですから初期のロールフィルムが湿気でべたべたになることは想像に難くありません。
 当時日本のカメラメーカーというと小西本店(現在のコニカ)と浅沼商会(キング)でした。この二社が初期の日本の写真界を支えたと言っても過言ではないでしょう。なんと言ってもすべてのカメラや写真用品が輸入でしたから、こういった大きな会社を通さなければ写真館は開けませんでした。それから100年。今日本のカメラメーカーはまさに世界に冠たる存在です。コニカとキングはどちらも現存していますが、100年前に日本の写真界を二分した勢いはありません。あと、100年後キヤノンやニコンは今の勢いを維持しているでしょうか?それとも銀塩写真自体が消滅しているでしょうか?

 さて、コダックはその後も順調にカメラメーカーとしての道を歩みます。ライカを始祖とする35mmパトローネ入りのフィルムは大ヒットし、ドイツコダックは35mmフィルムを使用するレチナを作り始めます。アメリカのコダックはブローニー以外にもバンタムシリーズなどを出しますが、ドイツコダックと比較すると簡便カメラという印象を受けます。

 戦後、アメリカのコダックは1951年にシグネットというシリーズを発売しました。何種類かありますが、基本的にはどれも似たような構造で、シャッターとレンズが微妙に違うのと、時代の推移とともにフィルムの巻き上げがダイヤル式からレバー式に変わりました。日本で比較的有名なのがシグネット35でしょう。私が手に入れたシグネット40は35の改良版のようです。シャッター速度が1/400秒まで引き上げられ、巻き上げがレバー式に改められました。ただ、値段を下げるためでしょうが、ボディ全面にあるシャッターボタンはシャッターユニットからでているレバーを押しやすくしているだけできわめて単純な構造ですし、フィルムを巻き上げたあと、レバーでシャッターをチャージしなければなりません。この辺りの仕様は戦前のスプリングカメラを彷彿させます。シャッターユニットからでているシャッター棒はチャージすれば何回でも押せるのですが、ボディに付いているシャッターレバーは巻き上げレバーと連動していて、多重露出防止機能が付いています。この当たりとてもよくできています。巻き上げレバーは小刻み巻き上げも可能ですが、なんと3回巻き上げです。基本的には連動距離計の付いたボディにレンズとシャッターユニットを付けただけのカメラです。蛇腹を利用した折り畳みもレンズの交換も何もありません。
 それでも、シグネットは比較的売れたカメラのようで約10年に渡って製造されました。1950年代末に製造を終えましたが、この仕様では1960年代には生き残れなかったでしょう。

 コダックは1960年末にカメラの生産の方針を変えます。レチナやレチナフレックスと言ったカメラの生産も止めてしまいます。その後はポケットカメラを出したりインスタントカメラを出したりしますが、カメラメーカーと言うよりはフィルムメーカーとしての色合いが濃くなって行きます。現在ではおそらく自前でカメラの生産は行っていないはずです。ただ、デジタル分野でかなり頑張っているようで、ニコンやキヤノンのボディを使ってデジカメを作っています。

 さて私が手にいれたシグネット40はシャッターが切れない状態でした。オイルが切れているだけだと思って買ったのですが、よく調べてみると絞りが内部ではずれていました。絞りに修理はやっかいなのであまりやりたくないのですが、買ってしまったからには仕方ありません。ばらして組み直すことにしました。幸い絞り羽根自体にダメージはなく、ただはずれているだけでした。しかしこれを組み直すのが大変で、何度やっても苦労します。手がもう2本くらい欲しくなります。試行錯誤の末なんとか絞りを組み終え、シャッターユニットも一端ばらして、オイルを指し組み上げました。基本的に単純な構造のカメラですから、もとどおりに組み上げれば正常に動きます。ちゃちなシャッターボタンも分解修理をする上ではありがたい構造でした。ファインダーも清掃し、距離計の像ずれも直しました。はじめお店でファインダーを覗いたときはそれはそれは汚いファインダーでした。ただ時代から言って、これが単に汚れているだけのか、それともシグネットの仕様なのか判断が付きませんでした。一応お約束みたいなものですから、ばらしたついでに軽く汚れを落としたのですが、それだけで信じられないくらいきれいな、見やすい、ピント合わせのしやすいファインダーになりました。疑ったシグネットにお詫びをしなければなりません。いちおう一世を風靡したカメラなのですから、最低限の使いやすさは確保しているはずですね。ましてやファインダーはレンジファインダー機の要ですし。レンズはektanon46mmf3.5。エクター系のレンズは評判がいいので思わず期待してしまいます。それにしても46mmとは、妙な焦点距離ですね。

 さて、実際に使ってみた感想ですが、思ったより不便ではないですね。どうしてもなじめないのが、フィルムを巻き上げたあとシャッターをチャージしなければならない点ですが、それ以外は特に問題は感じませんでした。軍艦部でなく前面についているシャッターレバー(ボタンではないですね)も慣れればなんと言うことはありません。フィルムの三回巻きももちろん便利ではありませんが、それならそれで特に気にはなるものでもありませんでした。
 
 この時代のコダックのレンズはエクター系のレンズは写りには定評があります。こんな単純なカメラですが、シグネット35などは日本では結構なお値段が付くそうですね。で、実際移してみたのですが、さすがという感じです。やはり、カメラはレンズだと言う気がしてくるすばらしい写りです。50年代のコダックはカラーフィルムの売り上げ向上に心血を注いでいましたから、レンズもカラー写真にマッチしたものになっているのでしょう。私はリバーサルは使わないのですが(使えないのですが)、このレンズならおそらくリバーサルでもすばらしい写真が撮れると思います。思わずこの時代のカメラにはまりそうな一台でした。






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